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エリザベス女王は英国の過去の犯罪に謝罪しなかった

 

 

 

エリザベス女王は96歳という高齢だったが、昭和天皇のように重体になられてから長期間苦しむことはなくて、倒れてからすぐに亡くなられたので穏やかな最後だったようだ。

 

 

イギリス女王エリザベス2世が崩御されました。心から哀悼の意を表します。亡くなる2日前まで新しい首相の新首相のトラス氏に会うなど、バルモラル城でも公務をなされていたようで、病に倒られてから4ヵ月以上も重体の状態にあって長期間国民が自粛ムードだった昭和天皇とは違って、随分と急にお亡くなりになられたようです。安らかな最後だったと思います。

 

僕は自民党支持保守系思想で昭和天皇がお亡くなりになった時はまだ20歳だったけど、4ヵ月半も自粛ムードが続いて嫌気が差したので、「天皇陛下ももう高齢で病状が回復しないなら早く亡くなってくれないかな」などと思ったりした。僕の思想に大きな影響を与えた父も同じく自民党支持で保守思想だったが同じように、「昭和天皇はも87歳で寿命だろうから病状が回復するわけがないんだから、明日にでも亡くなってくれればいいのに。毎日、ニュース番組で『陛下のご病状です』というニュースをやられると気が滅入るし、自粛ムードが長引くと景気にもよくない」と言ってイライラしていた。

 

このように、西暦1988年から1989年にかけて昭和天皇が病気で長く苦しんで亡くなった時は、日本国民もかなり迷惑をして保守思想の人たちですら皇室から気持ちが離れて、昭和天皇がお亡くなりになった時には、「やっとこれで自粛ムードは終わりだ。酒を飲んで騒いだりできるんだ」とホッとした気持ちが多くの日本国民にはあったと思う。そういう日本国民の皇室離れの心が再び皇室に親近感を覚えるようになったのは、1993年6月に当時の皇太子殿下である徳仁様と小和田雅子さんが結婚された時である。その間は昭和天皇の「大喪儀」が全てのテレビ局で長時間放送されたりして、お年寄りはみんな見ていたようだが、僕のような若者は興味がないからレンタルビデオで好きな映画のビデオを借りて見たりしていた。この時期はレンタルビデオ屋がすごく繁盛したのを覚えてる。

 

 

僕は昭和天皇が亡くなられた時に4ヵ月も重体の状態が続いて国民の中に迷惑に思っていた人もいたので、「エリザベス女王はもう90歳を越えてるから生前退位をした方がよいのではないか。チャールズ皇太子も70歳近くて高齢なのだし」と思っていた。

 

 

だから、僕は「エリザベス女王はもう90歳を越えておられるのだから、日本の平成天皇のように『生前退位』を行って既に70歳近いチャールズ皇太子に王位を譲った方がいいのではないか?エリザベス女王昭和天皇の時のように数か月も重体の状態が続くと、イギリス国民、特にスコットランドなどの国民はまた『イギリスから独立したい』などと騒ぎだすのではないか?」と真剣に思っていた。だから、エリザベス女王が亡くなったというニュースを聞いてもはっきり言うと、「96歳まで長生きして70年間も女王の座に君臨したのだから、『お疲れ様でした。安らかに眠ってください』というメッセージを伝えて、静かに見送ればいいだろう。別にそんなに悲しみは感じない」という気持ちが強い。96歳まで生きて大往生を遂げられた方に対しては、あまり深い悲しみはわかないのが普通だと思う。

 

 

一方でエリザベス女王はまだ王女の時代に第二次大戦を経験しており、イギリス陸軍に入隊して軍務に就いたことまであった。そのため、かつて交戦国だったドイツ日本との和解には少し時間がかかった。さらに、イギリスの過去の植民地統治について謝罪を述べることはなかった。

 

 

一方で少し気になるのはエリザベス2世は立派な方だったと思うが、彼女はまだ少女時代だった頃に第二次大戦を経験しており、イギリス軍とナチスドイツ軍が戦かったのを記憶している方でもあった。女王がまだ少女だった頃にはゲーリングの率いるドイツ空軍による空襲、V1V2ロケットによるが常にあり、ロンドンはかなり被害を受けて市民の戦死者も出て、バッキンガム宮殿まで被害を受けた。1940年にフランスがナチスドイツ軍に降伏した後はドイツ軍の上陸も予想されたので、エリザベス王女も近衛連隊の名誉連隊長に任命されたり、王女自身も1945年2月には英国女子国防軍に入隊して、軍用トラックを運転するなどの軍務を行った。

 

こういう過去があったためか、やはり若い頃のエリザベス女王は枢軸国だったドイツ、日本などにはあまり良い印象を抱いておらず、日独との信頼回復までにはちょっと時間がかかった。1958年に西ドイツのテオドール・ホイス大統領がイギリスを訪問したが、エリザベス女王の西ドイツ訪問は1965年になり、1971年に日本の天皇皇后両陛下がイギリスを含むヨーロッパ王室を訪問したが、エリザベス女王のに日本訪問は1975年になった。これは、やはりイギリス国内のかつての交戦国に対する感情を配慮したものだろう。その後、1990年にドイツが統一された後には、かつてイギリス空軍による無差別爆撃で約3万人の市民が亡くなったドレスデン市を、両国の和解のために訪問された時には「スピーチに中に謝罪の言葉がなかった」という理由で、右翼ドイツ人成年から生卵をぶつけられそうになった。

 

 

恐らく、エリザベス女王自身はイギリスの過去の過ちの謝罪と反省を述べたかったのだろうが、周りのイギリス保守系思想の人たちがそれをさせなかったのだろう。ヨーロッパ王室では王は政治的発言はしないという決まりがあるから。

 

 

第二次大戦の敗戦国である日本の皇室とドイツの政治家は、第二次大戦について何度も遺憾の意を述べて終戦記念日に謝罪の言葉を述べてるのに、かつては「日の沈まない帝国」と呼ばれていてアジア、アフリカなどに多くの植民地を持ち、植民地の住民たちを強制労働させて豊かな国になったイギリスの女王が、一度も過酷な植民地統治について謝罪の言葉を述べずに亡くなったというのは、ちょっと納得できないことではある。でも、これはイギリス国内の保守勢力の圧力が強くて、しかも、「王は君臨すれども統治せず」とイギリス憲法には書かれているから、エリザベス女王個人が謝罪をしたくても、周りの保守的なイギリス人がそれを許さなかったのだろう。