これは、僕がトム・クルーズが主演した映画「ワルキューレ」が公開された2009年3月に、他のブログに書いた記事です。映画「ワルキューレ」はドイツ陸軍大佐のシュタウフェンベルク大佐の率いる反ナチスグループがヒトラーを暗殺してナチス党幹部を逮捕して、連合軍と有利な条件で講和をしてドイツを救おうとした事件です。一般的には7月20日事件と呼ばれてます。今日が7月20日なので、この事件に関するブログをアップしようと思ったのです。
トム・クルーズが主演した映画「ワルキューレ」で、シュタウフェンベルク大佐たちの反ヒトラーグループによる1944年7月20日のヒトラー暗殺事件が世界的に有名になった。
トム・クルーズ主演の映画「ワルキューレ」が公開されて(2009年3月に日本では公開された)、多くの人が見に
「シュタウフェンベルク大佐は、ナチス・ドイツの不正を正すべく、正義感から反逆者となり、独裁者ヒトラーを暗殺しようとしました。本当に立派なことだと思います」
というような、感想を抱いているようだ。
だが、僕はこのヒトラー暗殺未遂事件はかなり前から知っていて、シュタウフェンベルク大佐と、反ヒトラー派将校に所縁のある場所を訪れたことがある。シュタウフェンベルク大佐が爆弾を爆発させたヴォルフスシャンツェ、大佐を含む反ヒトラー派の将校が銃殺された旧ベンドラーブロック、人民法廷の後に、多くの反ヒトラー派の将校、政治家が処刑されたプレッツェンゼーに行ったことがある。だから、ちょっと視点を変えて、敢えて、「シュタウフェンベルク大佐と反ヒトラー派将校たちは、本当に英雄だったのだろうか?」というこ
シュタウフェンベルク大佐が反ヒトラーグループに参加したのは、ドイツ軍の敗北が始まった頃であり、その頃に反ヒトラー運動を始めたのでは「日和見主義者」ということになる。
まず、シュタウフェンベルク大佐が本格的に反ヒトラー派として行動を開始したのは、ソ連軍
彼が、もし、本当に、ヒトラー政権とナチスの政策に疑問を感じていたのなら、1933年にヒトラー政権が誕生した時から、ずっと、反ヒトラー派でなければならなかった筈だ。でも、ヒトラー政権が誕生した頃は、シュタウフェンベルクはヒトラーとナチスの政策には反感を抱いていなかった。
だから、シュタウフェンベルクに対してかなりきつい見方をするのなら、ちょっと、「日和見
たとえ、ヒトラー暗殺に成功してナチス党幹部の逮捕に成功しても、連合国側は反ヒトラーグループと交渉に応じるつもりはなかったという。
シュタウフェンベルクを始めとする反ヒトラー派の将校たちのプランは、ヒトラーの暗殺に成功した後、ゲッベルス、ヒムラーなどのナチス幹部を逮捕し、SS、ゲシュタポといった組織を解体して、なるべく、米英・西側連合国に近い政権を誕生させる。その後、西側連合軍との戦争は終結させて、共産主義のソ連軍との戦いは継続する、というものだったようだ。
だが、「ワルキューレ」が失敗に終わった後の、連合国の反応は、極めて冷ややかなものだったらしい。
「1940年には、電撃戦による大攻勢で、フランスを始めとする西ヨーロッパ諸国を占領し、バトル・オブ・ブリテンでイギリス各都市に無差別爆撃を行った。そして、占領
というのが、連合国首脳の一致した意見だった。つまり、シュタウフェンベルクが率い
戦後のドイツ政府はこの反ヒトラーグループによるヒトラー暗殺未遂事件を利用して、「国防軍(ヒトラー政権掌握前から存在したドイツ軍)は清廉潔白だった。悪いのはナチス親衛隊だ」という歴史上の神話のようなものを作った。
ただし、ドイツでは、今でもシュタウフェンベルクと反ヒトラー・グループの行動は高く評価
この「クリーン国防軍」、「邪悪ナチス軍」というナチスドイツ軍という見解については、色んな意見が現代史の専門家から出されている。それらの専門家の意見をまとめると、日和見主義者かもしれないシュタウフェンベルク大佐
「ヒトラーに信用されていた将校の中にも、ヒトラーを嫌っていた者がいた。そして
というふうに戦後の西ドイツ政府は主張して、ドイツの戦争犯罪を軽くすることに成功したと
だらだらと、シュタウフェンベルク大佐と反ヒトラー・グループを批判する記事を書いたけど
しかし、残念なのは、行動を起こす時期があまりにも遅すぎたことだ。連合軍の勝利
シュタウフェンベルク大佐を始めとする反ナチスグループがヒトラー暗殺を試みた場所は、今ではポーランド領になっていて交通が不便な所にあるが訪れることができる。 反ナチスグループが処刑された場所はベルリンの中心部にある。
写真上はシュタウフェンベルク大佐と彼の仲間の反ヒトラーグループの高級将校たちが、7月20日の深夜に銃殺刑に処された場所。ベルリン中心部にあり、今はドイツ国防省の管理になっていて、「ドイツにおける反ナチス抵抗運動記念館」になっている。下の2枚の写真はポーランドのケントシン市(ナチスドイツ時代はドイツ領であり、ラステンブルクというドイツ語名だった)に残るヴォルフスシャンツェ(狼の巣)という名前の総統大本営跡地で撮った写真。上がシュタウフェンベルク大佐が爆弾を爆発させた場所で、下がヒトラー暗殺の「7月20日事件」に関する説明板。ヴォルフスシャンツェ跡に行くと、ポーランド人のガイドが英語とポーランド語で説明を行ってくれる。訪れる観光客はドイツ人とポーランド人が多い。ポーランドはナチスドイツ時代にかなりナチスドイツに虐待されたが、戦後に共産主義のソ連に1991年まで虐待された時の恨みの方が強いため、反ドイツ感情はそんなに強くない。
最後に僕のブログを訪れてくれてありがとうございます。子供の頃からティガー戦車、メッサーシュミット戦闘機などの模型を作っているドイツ軍マニアなので、ナチスドイツ軍に関するブログ記事を他にも書いてます。さらに、ドイツで10試合ほどブンデスリーガの試合を観戦していて、ドイツサッカーが好きな方に対して色々と興味深いブログ記事を書いているので、できれば他の記事も読んでみてください。ブログ記事の感想のコメントを書いてもらうと嬉しいです。ドイツ語の勉強方法、ホームステイした時の体験談も書いてます。