Deutschland-Lab

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ドイツに関する記事まとめ(2)

 

 

 

 

今回のブログ記事で前回と同様に過去に書いたドイツ関係のブログ記事を紹介します。最近はドイツとあまり関係ない記事を書いてるので、どうしてこのブログが[Deutschland-Lab](ドイツ研究所という意味)なのか主題から外れすぎなので(苦笑)。最近、僕のブログ記事読者になった方々は1年以上前に書いた記事をこの機会に読んで、僕がドイツ、特に第二次大戦時のナチス軍に詳しいことを理解してください。

 

 

このまとめ記事では、僕がナチスドイツ軍人のお墓を訪れた時の様子を紹介する。軍事博物館、記念館などは観光ガイドブックに掲載されているしネットで調べればわかるが、軍人のお墓はガイドブックには載っておらず、ネットでも英語のサイトでしか紹介されてない。それに現地の人もお墓を知らないことが多かったので、ドイツ語がある程度しゃべれても、お墓を見つけるまでにかなり苦労をした。

 

 

このまとめ記事では、僕が今までに訪れたナチスドイツ軍の軍人のお墓を訪れた時の様子について紹介をしている。戦勝国であるアメリカ、イギリスなどの軍人はロンドン、ワシントンなどの国立墓地にまとめて埋葬されているが、敗戦国であるドイツの場合はそのようにナチスドイツ軍人を英雄として国が葬ることは禁止されてるので、ドイツ各地に家族が建てたお墓に家族と共に葬られている。

 

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この記事では、ロンメルグデーリアン、フォン・マンシュタイン撃墜王ハルトマンのお墓を訪れた時の様子について紹介している。ロンメルのお墓はドイツ南部にあるウルム市郊外のヘルリンゲンという小さな町にあり、ロンメルのお墓がある教会にはお墓がある場所を教える看板もあるし、ロンメルに関する本にはどこにお墓があるかを詳しく書いてある本まであるからけっこう簡単に見つかる。また、ロンメルが亡くなった命日には数年前までは元ドイツ兵と連合軍の兵が集まって、お墓で追悼式が行われていた。ドイツ連邦軍将校も制服を着て出席することが許されていた。

 

他のドイツ軍の軍人たち、特に元親衛隊の軍人が亡くなった命日には公式には追悼式が行われるのが禁止されているのに、ロンメルがこのような破格の良い扱いを戦後も受けているのは、ロンメルシュタウフェンベルク大佐らが1944年7月20日に行ったヒトラー暗殺事件との関与をヒトラーナチス政治家から疑われて、ヒトラーから自殺を強要されたからである。ただし一方でロンメルはノルマンディ戦線で米英連合軍を止めるために全力を尽くして軍の指揮を執っており、この点ではヒトラーと国家に忠誠を尽くしていたと言える。今となってはロンメルがどれだけ反ヒトラー派のドイツ人たちと接触があったのかはよくわかってないが、ヒトラーに抵抗したドイツ軍人の1人として高く評価されている。

 

それ以外のグデーリアン、フォン・マンシュタイン、ハルトマンの場合は墓地がある町はネットで調べてわかっていたが、墓地のどこにあるのかわからないので、現地の人に墓地がある場所を教えてもらって、それから墓地にあるお墓を一つ一つ見て最終的に見つけたのだった。

 

ハルトマンの場合はヴァイル・イン・シェーンブッフというシュツットガルト近郊の小さな町にお墓があることは知っていたが、墓地がどこにあるのかわからないので、町役場に行って墓地を教えてもらった。「君はハルトマンのお墓を見るためにわざわざ日本からこんな田舎町まで来たのか?すごいな!」と言って町役場の中年職員は驚いていた。その人はハルトマンに一度会ったことがあると言っていた。

 

グデーリアンの場合はドイツ中部のハノーファー近郊にあり、中心部が世界遺産になっているゴスラーという美しい町にお墓があった。しかし、ゴスラー市営墓地は恐らく東京ドーム半分くらいのすごく大きな墓地だったので、墓地の手入れをしていたおばあさんたちに「グデーリアン将軍のお墓はどこにありますか?」とドイツ語で質問をして、場所を教えてもらった。

 

フォン・マンシュタインの場合は最も苦労をして、ドイツ中部のドルフマルクという小さな町にあることはわかっていたが、ドルフマルクの町営墓地がどこにあるかわからないので、現地で地図を見て町営墓地を見つけて、町営墓地のお墓を一つ一つ見てフォン・マンシュタイン家のお墓を発見したのだった。

 

 

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この2つのブログ記事では、ベルリン中央駅の近くにあるインヴァリデン墓地にあるドイツ軍人のお墓を紹介している。インヴァリデンというのは日本語にすると「廃兵院」という意味であり、1945年のナチスドイツ降伏までは多くの有名で実績のあるドイツ軍人のお墓があった。しかし、ナチスドイツ降伏後はこの墓地はソ連軍管理下になったので、ハイドリヒ、フォン・ライヘナウのようなナチス政治家と軍人のお墓は破壊されて遺灰は川などにばら撒かれた。今でも残っているのはソ連軍管理下でも残されたプロシア軍人、ドイツ軍人のお墓だけである。

 

この墓地はベルリン中央駅から徒歩10分ほどの場所にあるので、すぐに見つけることができる。この墓地に眠っているのはナチスドイツ軍人だと、ドイツ空軍のメルダース大佐、ウーデット上級大将、ドイツ陸軍のフォン・フリッチュ上級大将である。ワイマール共和国と第一次大戦頃の軍人はフォン・シュリーフェン、フォン・ゼークトである。プロシア軍の軍人はフォン・シャルンホルストがここに眠っている。いずれにせよ、当たり前のことではあるがナチス党とはあまり関係なかった軍人のお墓しかない。これはやはりドイツ国営の墓地がネオナチなどの極右政治団体の聖地になることを、ドイツ連邦政府が恐れているのだろう。それでも、ドイツ軍マニアなら一度は訪れるべき墓地だと思う。