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クリスマスにベルリンで嬉しいことがあった

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今はクリスマスシーズンなので、1996年のクリスマスにベルリンに行って、とても嬉しいことがあった話を書きます。写真上はベルリンのブランデンブルク門のクリスマスデコレーションの様子。

 

12月26日の午後7時ごろにベルリンに着いたら、現地はまだクリスマス休暇であり、両替所は全部閉まっていた。僕と兄は合計で30マルクほどしか持っていなかった。

 

1996年12月26日に、兄と二人でベルリンに行った。現地に一週間ほど滞在する予定だった。ところが、着く早々、予想外の事件が起こった。ベルリンのテーゲル空港に着くと、12月26日まだクリスマスの休暇で両替所はどこも閉まっていたのだった。

本当に困ったことになった。僕と兄は、
「25日はクリスマスだけど26日は違うから、ベルリンで両替できるだろう」
と思い、円をマルク(当時はまだユーロじゃなかった)に替えていなかったのだった。マルクは兄が持っている30マルク(日本円にすると約2,400円)ぐらいしかない。さらに、重いスーツケースを持っていて、兄はベルリン2回目、僕は初めてだったので、どの地下鉄、バスに乗るのかも全くわからず、ベルリンのテーゲル空港から泊まる予定のフォーラムホテルのあるアレクサンダー広場までどう行ったらいいかわからず、途方に暮れてしまったのだった。


とりあえずタクシー乗り場に行って、おじさんの運転手たちに声をかけたら、
「次は彼女の番だよ」
と1人のおじさんが言って、金髪で長身の若い女性ドライバーを指差した。彼女は綺麗な人だったが、運転しやすいために作業服のようなとても質素な服を着ていた。

 

「30マルクではアレクサンダー広場(宿泊するホテルのある場所)までは、タクシーでは行けない」とおじさんのドライバーに言われたが、僕らが乗ったタクシーの女性ドライバーは、「とにかく行ってみましょう」と言った

 


僕が覚えたてのドイツ語で、
[Guten Abend. Wir moechten nach Alexander Platz fahren. Aber wir haben nur 30 Mark.](こんばんわ。アレクサンダー広場まで行きたいんですが、30マルクしか持ってないんですが)
と彼女に尋ねた。彼女は仲間のドライバーに、
「30マルクでアレックス広場まで行けるかしら?」
ということを聞いたようだった。仲間のドライバーは、僕にもわかるようなドイツ語で明らかに、
[30 Mark, Alex Platz? Nein, nein,teuerer, teuerer](30マルクでアレックス広場?ダメ、ダメ。もっとかかるよ)
と首を振りながら答えた。
「困った。どうしよう」
と僕は思ったのだが、彼女は、
「とにかく行ってみましょう」
ということを言って、タクシーに乗せてくれたのだった。
「しかし、”もっとかかる”と言ってるのに・・・。どうするんだろう?」
と、とても疑問に思った。


車は動き出し、ベルリンの中心部へと向かった。ティアーガルテンに入り、「勝利の塔」、「ブランデンブルク門」などを通過した。英語もあまり喋れない脳天気な兄は、
「3年ぶりのベルリンだな~」
などと言って景色を眺めて感動していたが、僕は上がり続けるタクシーのメーターだけが気になった。さらにタクシーは走ってウンター・デン・リンデン通りを抜ける頃には、メーターは28マルクになっていた。
「ダメだ。これは、とてもホテルまでもたない」
と諦めて、500メートルぐらいはスーツケースを押して歩く覚悟をした。

 

タクシーの料金メーターが30マルクを越えた時に、びっくりすることが起こった。


そして、ついにメーターは31マルクになってしまった。
[Muessen wir aussteigen?](降りなければなりませんよね?)
と僕が言おうとした時に、信じられないことが起きた。ドライバーの彼女はメーターを消してしまったのだった。つまり、日本語でいうとタクシーの料金メーターを倒したことになる。
「えっ!」
と、思わず驚きの声が出た。

彼女は、そのままアレックス広場のフォーラムホテルの玄関まで乗り入れてくれた。そして、ニコリと振り向いて、
[30 Mark, bitte](30マルクちょうだい)
と僕と兄に言った。僕と兄は何度も英語とドイツ語で「ありがとう」と言いながら、よく探したら33マルクあったので、それを全部払って降りたのだった。


しかし、僕が彼女の顔をよく見ると、お金だけではなんか物足りないような顔をしていた。ここで欧米で考えられるのは、僕と兄が彼女の両頬にキスをすることだろうが、タカトシの「欧米か!」じゃないけど、我々、日本人にはそういう習慣はないので、とにかく彼女には、シャイな日本文化を体験してもらうしかなかったのだった。(苦笑)

Es tat dir in der Tat leid.(本当に、君にとっては気の毒だった)


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写真上はベルリンのアレクサンダー広場に建つフォーラムホテル。ここは旧東ベルリン地区にあり、東西ベルリンに分割されていた時は東ベルリンの中心地だった。だが、僕と兄がフォーラムホテルに行った時はベルリンの壁が崩壊した後なので、このホテルは旧西ドイツの会社が経営していた。


余談だが、ベルリンを旅行していた間、大学受験の時の共通テスト(今の大学入試センター試験)で僕よりも良い点数を取った兄は、英語がほとんど通じずにおろおろしており、大学卒業後に英検準1級を取った僕がメインでドイツ人と会話をしていた。(苦笑)