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東京に住んでいた時の初恋?の話

 

 

 

最近はウクライナ戦争とか円安で物価が上昇とか嫌な話が多いので、ちょっと子供の時の面白かった話についてブログに書いてみようと思います。

 

 

僕が小学校1年生から3年生の6月までは銀行員の父が東京本店勤務だったので、目黒区にある48家族が暮らす大きな社宅アパートに住んだ。僕は2寮も住んでいたが、4寮には松田さんという同学年のカワイイ女の子が住んでいた。

 

 

僕の父が大手銀行勤務だったので、僕は中学校に入学する時に両親が仙台にマイホームを建てるまでは、父の転勤に伴って全国各地に住んでいたということは、僕のブログの読者の方なら知ってると思う。僕が小学校に入学した時から小学校3年生の6月までは、家族は東京都目黒区南部にある銀行が建てた社宅アパートに住んでいた。写真上は近所にあった目黒不動尊の山門。ここにはよく遊びに行った。

 

それで、目黒区の社宅アパートは1寮から4寮まであって、僕の家族は2寮に住んでいた。大手銀行の東京本店に勤務する人が住んでいた社宅アパートだから、社宅アパート全部で48家族も住んでいたので小学生の子供がいる家庭も多くて、社宅内だけで10人近い友達がいた。だから、東京ではけっこうすぐに友達がたくさんできた。

 

当然、同じ社宅に住んでいた友達は男子も女子もいたのだが、4寮に松田さんという僕と同じ年の女の子が住んでいた。顔は松田という名前からわかるように、大きくなったら松田聖子のような美人になったという感じのかわいい女子だった。いつもニコニコ笑っていたけど、あまり男子とはしゃべらないちょっと大人しい女の子だった。

 

 

小学校3年生のある日、4寮に住む人に母が渡す物があったのでお使いで行くと松田さんが自転車に乗っていた。彼女は僕を見ると「キャーーッ、イターーッ!」と叫んで、自転車に乗ってどこかに行ってしまった。

 

 

小学校3年生になったばかりのある日、4寮に住む父の同僚の人に渡す物があったので、僕が母から言いつけられてその物を渡しに行った。すると、4寮に住む松田さんがちょうど自転車を物置から出しているところだった。もう2年前から知っているから、「久しぶりだね」という感じで「よお」と言って手をあげると、彼女は僕を見ると急に満面の笑みを浮かべて、「キャーーッ、イターーッ!」と叫んで自転車に慌てて乗って走り始めて始めた。僕は当然驚いたけどなんか馬鹿にされてるように思ったので、「おい、ちょっと待てよ!」と叫んで自転車の後を走って追いかけた。松田はそのまま4寮から1寮まで自転車で走り抜けて1寮の門から外に出てしまった。僕も1寮の門まで追いかけたが、門から外を見るともう彼女の姿は見えなかった。「馬鹿にされてる」と思ったので被っていた巨人の野球帽を叩きつけて、「なんなんだ、アイツはきちが〇か!」と叫んだ。

 

家に帰って母に今起こったことを言うと、母は「あんた、なんか松田さんに変なことをしたの?何かしたから逃げたじゃないの?」と言って心配したが、僕が何もしてないけど急に叫んで逃げ出したと言うと、母はニコリと笑って「あんたが好きなんじゃないの?」と言った。「好きならなんで叫んで逃げたんだ?」と質問すると、「女の子はそんなもんなのよ。恥ずかしいのよ」と言って母は笑っていた。

 

数日後に小学校に登校する時に、僕はいつも1寮と2寮に住む友達と一緒に4人くらいで登校していたのだが、2寮から小学校に行くには必ず4寮の前を通らないといけなかった。それで、4寮の前を通ると松田さんが女友達のSさんと一緒に門から出てきて、僕の姿を見ると前と同じように「キャーーッ、イターーッ!」と叫んで10メートルほど走って先に行ってしまった。一緒にいたSさんはびっくりして、「松ちゃん、どうしたの?」と言って松田さんを追いかけた。僕と4人の友達もびっくりして狐につままれたような顔をしていた。

 

「松田さん、どうしたんだ?なんで俺達を見たら逃げ出したんだ?」と、6年生のN君が言ったので、「なんだか知らないけど、僕の顔を見たらああいう風に大声を出して逃げるんだ。この前もそうだった」と僕が言うと、「お前を見ると逃げるのか?ひょっとしたらお前に気があるのか?G(僕のこと)が好きな女とか随分と珍しいな」と他の友達は言ったし僕も確かに珍しいと思った。小学校の頃の男女の恋愛を覚えてる人ならわかると思うけど、だいたい、小学校の時は運動会の徒競走でいつも1番で運動が出来る男子とか、ピアノを上手に弾くような楽器が出来る男子がモテることが多い。一方、僕は成績はまあまあ良くて優等生タイプだったけど、鉄道マニアで軍事マニアでオタク系であり、女子とはあまり話をしないタイプの男子だった。そんな僕をかわいい松田さんが好きになるというのは、友達は不思議に思ったし僕自身ですら不思議に思った。

 

それで、「本当に松田はGに気があるのか確かめてみよう」と友達は言って、年長のN君、僕と同学年で運動も勉強も出来てけっこう女子にモテるK君という順番で松田さんに走って近づいてみたが、彼女は全く反応しなかった。それで最後に僕が松田さんに走って近づくとやはり彼女は「キャーーッ、キターーッ!」と叫んでまた10メートルほど走って先に行ってしまった。これで、僕の友達も松田さんの女友達のSさんも松田さんは僕に気があることがわかった。同学年のK君は「鉄道と軍事マニアであまり女子と話をしないお前が好きとか、松田も随分と変わった性格だな」と言って笑っていた。

 

 

松田さんは僕が好きだったようだが、6月初旬に僕の父が広島支店へ転勤になったので家族は広島への引っ越しの準備を始めた。最後に松田さんに会ったらなんか悲しそうな顔をしていた。お別れ会にも彼女は来なかった。

 

 

それで、その後、僕と松田さんの間はどうなったのかというと、僕の姿を見ると「7「キャーーッ、イターーッ!」と叫んで走って離れてしまうので、会話のしようがなかったので何も起こるわけがなかった。そんな2人に急に別れの時がきた。小学校3年の6月初めに僕の父が広島支店に転勤になったので、僕の家族は広島に引っ越すことになった。だから、松田さんとも別れることになった。僕の家族の引っ越しのニュースが社宅アパート内に知れ渡って、松田さんの父と僕の父は同じ銀行に勤務していたから当然彼女もすぐに僕の引っ越しを知ったと思う。僕は数日後に彼女の住む4寮で自転車を物置きに仕舞ってる松田さんに会ったが、僕の顔を見ると悲しそうな顔をして自転車を仕舞って家に入っていった。何も言わなかった。それで、他の男友達とお別れ会のようなものを開いた時も彼女は来なかった。その後、引っ越しの荷造りも終わって広島に引っ越す日が来たので、家族で新幹線に乗って広島に移動したと思う。でも、その時のことはよく覚えてない。

 

 

転勤族の子供は恋愛でも不利だ。広島、西宮の小学校で「僕は両親が東北の仙台出身だから、最後は仙台に引っ越すことが決まってる」と言うと数人の女子は、「G君と結婚してここで一緒に暮らすことは出来ないんだ」と言ってガッカリしていた。転勤族の子供は幼馴染の異性と結婚することはまず不可能。

 

 

ここで一つ言いたいのは、恋愛においても転勤族はかなり不利ということだ。このブログに書いた松田さんもそうだが、広島の小学校でも5年生の時に僕が、「僕は転勤族で両親は東北地方の仙台出身だから、最終的には仙台に永住することになる。広島には長くても3年くらいしか住まない」と言ったら、数人の女子は「それなら、G君と結婚して一緒に広島で暮らすことはできないの?それは残念だわ」と言った。その後西宮に住んだ時に西宮の小学校でも、数人の女子はガッカリしていた。転勤族の子供というのは子供の頃からの幼馴染と結婚することはかなり難しいので、この点でも人生で不利になる。