Deutschland-Lab

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戦車の模型と戦争ゲームが大嫌いな元ドイツ兵のおじいさん

 

この写真は僕がシュツットガルト北西にあるファイヒンゲン・アン・デア・エンツという町に住む家でホームステイをしていた時に、仲良くなった近所に住む元ドイツ兵のおじいさんたちだが、座っている老人のうちの左から2人目の奥のテーブルに座っているのが、元ドイツ兵のエミールさん。その左側で前のテーブルに座っているのが、ヒトラーユーゲントにいて、その後ドイツ兵になったアレックスさん。

 

 

過去にも何度も書いたが、シュツットガルト北西に住むH家にドイツ語の勉強のために3カ月ほどホームステイをしたことがあった。その期間中に近所に住む元ドイツ兵のおじいさん2人と友達になった。

 

 

僕がドイツ語を勉強するために、シュツットガルト北西にあるファイヒンゲン・アン・デア・エンツ(エンツ河畔のファイヒンゲンという意味)という町で、1999年の春にH家でホームステイをしたことは何度か過去に書いたが、その家族の主人と息子ヤンは毎週金曜日にカードゲームをするために近所のサッカークラブのクラブハウスに近所に住む人たちと集まっていた。それで、僕が金曜日にH家の奥さんだけど家にいるのもつまらないと思ったので、カードゲームの会場に行ってみた。すると、そこには2人の元ドイツ兵のおじいさんがいて、1人はエミールさんといって、もう1人はアレックスさんと言った。海外に住んでいるとわかるが、白人は家族名ではなくてファーストネームで呼び合うので、25歳のヤンも80歳近いエミールさんのことを、「エミール」と名前で呼んでいた。これは、敬語がある日本では絶対にないことである。

 

 

元ドイツ兵のうち1人はエミールさんといって第二次大戦ではイタリア戦線で戦い、モンテカッシーノの戦いでイギリス軍の捕虜になった。もう1人はアレックスさんといって、ヒトラーユーゲントで訓練を受けた後、1945年1月から最前線に送られた。

 

 

2人が第二次大戦でドイツ兵とわかったのは、2回目にカードゲームに行った時にエミールさんが僕を指さして、「君は日本人なのか?ドイツ語がしゃべれるのか?」と質問をしてきたからである。そして、エミールさんは1944年にイタリア戦線のグスタフラインの激戦で戦って、悪名高いイギリス軍による世界遺産の美しいモンテ・カッシーノ修道院爆撃の時に、エミールさんは爆撃で吹っ飛ばされて、意識を失ったところをイギリス軍の捕虜になって、北アフリカにあった英軍の捕虜収容所で終戦まで過ごしたと語ってくれた。

 

その後H家の主人からアレックスさんも元ドイツ兵だったんだと教えてもらった。アレックスさんは1944年まではヒトラーユーゲントに所属して、兵隊になる基礎訓練などを受けていて、1945年1月から最前線に送られたと教えてくれた。それで、ライン川を越えてカールスルーエからシュツットガルト方面にフランス軍が攻めてきた時は、一度はアレックスさんたちがこの地区を防御して、フランス軍を撃退したと教えてくれた。

 

それで、僕がびっくりしたのはカードゲームが終わって、そこにいたドイツ人たちが歓談をしていた時にアレックスさんが大声でみんなに、「おい、ちょっと聞いてくれ。1945年3月にフランス軍どもが調子に乗ってこの地区に攻め込んできたことだろ?みんなも知ってるろ?あの時は俺とかドイツ軍がよく防戦をして、フランス人は大損害を出して逃げかえったんだぜ。あの時のフランス人どもはみっともなかったな」とアレックスさんが言うと、そこにいたドイツ人はみんなゲラゲラと大笑いをして、「そうだ、そうだ、生意気なフランス人どもめ!」と言って、盛り上がったのだった。やはり、ドイツとフランスというのも、日本と韓国みたいな対立があり、特にシュツットガルトカールスルーエなどはフランス国境に近いから、そういう気持ちが強いのだろうと思った。

 

 

毎週金曜日に近所の人が集まって開かれるカードゲームの会場で2人にあったのだが、僕はカードゲームのルールがわからなかったので、エミールさんとアレックスさんに僕が日本から持ってきた日本語で書かれた戦記を見せていた。

 

 

それで、最後になったが今日の本題だが、エミールさんとアレックスさんには僕が日本から持ってきた日本語で書かれた第二次大戦関係の本を見せることがよくあった。「ヒトラー第二次世界大戦」「砂漠の狐ロンメル」という本を見せると、2人ともとても喜んでいた。

 

 

でも、エミールさんにタミヤ模型のカタログを見せて、それにドイツ軍の戦車、ドイツ兵の人形の模型が写っているのを見ると、彼は激怒して「こんなものよくない!」と怒鳴った。でも、アレックスさんは喜んで見ていた。

 

 

しかし、エミールさんにタミヤ模型のカタログでミリタリーミニチュアシリーズのページを見せて、ドイツ軍のタイガーⅠ型戦車、パンサー戦車、ドイツ兵の人形の写真が写っているのを見るとエミールさんは激怒して、[Alle sind ganz schlecht! Wozu!]「こんなものは最悪だ!何のために!]と怒鳴って、机を手の拳で思い切り叩いたのだった。エミールさんは「第二次大戦の戦争ゲームとかもあるが、ああいうものも戦後生まれの若者はプレイするべきではない」ということも言っていて、「わしが体験をした戦争はいかに悲惨だったかを若者のはわかってほしい」とも言っていた。

 

一方でアレックスさんはミリタリーミニチュア模型の戦車、ドイツ兵の人形などを見るとニコニコと笑っていた。ムンスター戦車模型博物館にいた2人の元ドイツ戦車兵のおじいさんたちも、戦車と兵隊の人形を微笑んで見ていて、戦車博物館に飾ってある戦場のジオラマを嬉しそうに見ていた。

 

こうしてみると、「元ドイツ兵はみんな右翼思想で日本人と第二次大戦の話をしたがっていて、ドイツ軍の兵器と昔の自分たちであるドイツ兵の人形を見ると喜ぶ」という一般論というのはないことがわかると思う。人に優しい人といじわるな人がいるように、元ドイツ兵といっても色んなタイプの人がいるということが、僕はドイツに1年ほどいてよくわかった。