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会津若松は明治政府によって意図的に衰退させられた

 

福島県の県庁所在地は県内で3番目に大きな福島市にあるのだが、これは明治初期の廃藩置県当時は会津が一番大きな町だったが、戊辰戦争で官軍に激しく抵抗したから県庁を置くのにふさわしくない。2番目に大きな郡山も会津に近すぎるという理由で、3番目に大きな福島市に県庁が置かれたのである。

 

 

僕は東北地方の仙台に住んでいるのだが仙台に住んでいると地元のニュースとして、会津のある程度年輩の人たちは今でも薩摩(鹿児島)、長州(山口)、土佐(高知)の人たちを嫌っており、これらの県の人々が観光旅行で会津に来るとすごく嫌な顔をして、旅館でもレストランでも歓迎しないという話を聞くことがある。

 

これは、会津戦争で会津藩が西日本の諸藩の連合軍である官軍によって、徹底的に潰されたのが原因となっている。会津藩が西日本諸藩の恨みをかったのは、会津藩主の松平容保が京都所司代として新撰組などを使って、特に長州藩の勤王の志士を弾圧して大量に殺害したことが理由であり、西日本諸藩の連合軍である官軍は会津藩だけは絶対に許せないと思っていた。今でも会津では「前の戦争」というと太平洋戦争ではなくて、会津戦争のことを指すらしい。

 

その後、1876年に2度目の廃藩置県があって、会津県がなくなって福島県が明治政府によって成立することになった時に、福島県の県庁所在地を置く町の候補に福島県内の町の中から、会津、郡山、いわき、福島が候補に挙がったが、いわきは太平洋岸にある端にある町だからダメ、会津は賊軍だったのでダメ、郡山は賊軍の会津に近い町だからダメという理由で候補から外されて、奇妙なことに福島県内で3番目に大きい町である福島に県庁所在地が置かれることになった。このように、県庁所在地が現在でも県内で一番大きな都市ではない所にある県は極めて珍しい。

 

実際に僕が今年の4月に福島県の郡山駐屯地の創設記念行事を見に行った時にタクシー運転手さんに、「郡山市は福島県内では一番大きな都市なのに、福島県の県庁所在地はなぜか3番目に大きな福島市にあるんですよね?これは、郡山が官軍に徹底的に抵抗した賊軍の会津に近いから、県庁を置くにはふさわしくないと明治政府が判断したと聞きました」と僕が言ったら、運転手さんは「その通りです。郡山、会津ではよくそういう話を聞きますね」と言っていた。

 

こちらが会津若松市のウィキペディアの説明。でも、会津が山口、鹿児島、高知などの県とは仲が悪いことについてはあまり説明されていない。

 

ja.wikipedia.org

 

明治時代になって東北でも鉄道建設が盛んになったが、国鉄の前身の日本鉄道は会津を鉄道建設候補地から外した。そこで会津地方の人たちはみんなで岩越鉄道という私鉄の株主になってお金を出し合って、1899年に郡山~会津若松間に鉄道を敷設したのだった。

 

 

また、明治時代初期から日本国内で始まった鉄道敷設でも日本鉄道(現在のJR東日本の前身)は上野から仙台、盛岡、青森へと伸びる東北本線の敷設を最優先にして、会津は鉄道を敷設する候補地から外された。大企業が鉄道を敷設してくれないので、会津地方では渋沢栄一が中心となって沿線の住民から株主を募り、そういう人たちからの資金で1899年にやっと郡山~会津若松間に岩越鉄道という私鉄として、鉄道が敷設された。これが、後に国鉄が設立された時に吸収されて磐越西線となるのだが、磐越西線が私鉄として敷設されたことは、鉄道マニアの僕も知らなかった。

 

でも、会津とその周辺の地域はのちに明治新政府を作る官軍に激しく抵抗したので県庁所在地から外されて、会津から少し離れた福島市に県庁所在地を置いたままで令和の今に至るというのでは、福島県民で特に郷土史に詳しい人はやはり明治政府の仕打ちを恨んでいるだろう。それが理由で、NHK大河ドラマ「八重の桜」のように、会津を含む福島県はよく大河ドラマなどの幕末ものドラマの舞台になっている。