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平成初期までの体育会系部活の根性主義は必要なかった

日本のトップアスリートを支える「味の素ナショナルトレーニングセンター」 | ストーリー | 味の素グループ

30年ほど前の平成初期までの日本の体育会系部活は軍隊みたいで、先輩と監督の言うことが絶対だったが、1993年にサッカーJリーグが始まった頃から「スポーツは自由に伸び伸びとプレイするべきだ」という考えが広まり、段々と日本の体育会系部活はリベラルになった。

 

 

今日もパリオリンピック関連のブログ記事だけど、昔の体育会系部活の不条理な指導と人間関係について説明をする。写真は東京都北区にあるナショナルトレーニングセンターであり、この施設が出来た頃から日本は五輪で金メダルを10個以上取れるようになった。

 

僕が中学生、高校生だった昭和時代後期は恐らく40代以上の人たちならわかると思うが、体育会系の部活では先輩と部活を指導する先生、あるいは監督が絶対な存在であり、後輩である1年生が先輩と先生に逆らうと部活から追い出されるのが当たり前だった。

 

令和の今の世界のように親を始めとする周囲の人たちに、「スポーツは好きだから部活を続けたいけど、先輩の指導が厳しいから部活を辞めたい」などと相談すると、すぐにいじめが行われてるというふうに周りの人が先輩たちを注意するなどというサポート体制は、今から30年以上前の昭和後期、平成の初期まではなかった。だから、今、オリンピックに出場して、「オリンピックで自分のプレイをして、思い切り楽しみたいです」など笑顔で言っているスポーツ選手たちを見ると、本当にうらやましいと思う。

 

日本では平成初期までは体育会系部活では監督、先輩の言うことを後輩が聞くのが当たり前だったのだが、その不条理な指導を変えたのが1993年のサッカーJリーグの始まりだったと思う。当時から日本のサッカーユースチームで指導をしていたドイツ人サッカー監督のエンゲルス氏は、「明日はサッカーの練習は休み」と言うと、ドイツではがっかりする若者が多いが、日本では喜ぶ若者が多いことに驚いたという。「このユースチームの選手たちは、サッカーが大好きでやっているのではないのだ」と気付いて、ショックだったという。

 

エンゲルス氏だけではなくて、鹿島アントラーズでプレイしたジーコも、2002年の日韓共同開催で日本を最低でも決勝トーナメントに導くことを任されたトルシエ監督も、「日本人のスポーツ選手は先輩と監督の言う通りにプレイするという、まるで軍人みたいな選手ばかりで全くダメだ。プロの選手だったら監督がどう指導しようと、自分はこういうプレイをしたいというビジョンくらい持っているべきだ。それで監督と衝突することがあっても構わない。それがプロスポーツ選手というものだ。日本のスポーツ選手はプロではない」と言って切り捨てた。

 

 

2008年に政府が建設したナショナルトレーニングセンターが出来たので、日本のオリンピック選手たちは専用の運動施設で運動が出来るようになったが、それ以前は体育大学の体育館、代々木体育館などを借りて日本のオリンピック選手たちは練習をしていたという。

 

 

さらに、2000年9月に行われたシドニー夏季五輪の頃までは、日本の五輪代表選手が専用に使える体育館などの練習施設すらなかった。上に掲載した写真のナショナルトレーニングセンターを日本政府が建設するまでは、日体大の体育施設、代々木体育館などを使わせてもらって、周囲に気を使いながら日本の五輪代表の選手たちは練習をしていたという。今では全く考えられない可哀そうな待遇だった。

 

1988年のソウル五輪から2000年のシドニー五輪までは、ロクな練習施設もなく、監督と先輩が体育会系部活を支配するという恐怖体制で選手たちは練習をしていたから、金メダルは3個~5個しか取れなかった。選手団役員を1000人ほども送り込んで、金メダルは5個、メダル総数も20個未満という日本オリンピックチームの暗黒期だった。

 

今は体育会系部活でも先輩と監督が威張っていて後輩は小さくなっているという、厳しい上下関係はほとんどなくなって、五輪代表の選手たちが専用に練習できる練習設備もあるので、日本は安定して10個以上の金メダルが取れるようになった。今の選手たちは本当に幸せだと思う。