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映画「遠すぎた橋」の舞台となった街を訪れた(1)

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僕は戦争映画「遠すぎた橋」で有名になったオランダ東部にあるアルンヘムとナイメーヘンに3回行ったことがある。一回目は1997年の9月で、二回目は2007年の7月で、三回目は2016年の5月に行った。

 

二回目に行った時は、アルンヘムのジョン・フロスト橋(映画でも有名な英第一空挺師団のフロスト少佐が死守したが、連合軍が遂に届かなかった第五の橋)の周りの記念碑の写真を撮っていると、赤いベレー帽を被ったおじいさんが車から降りてきたのだった。その赤いベレー帽を見てすぐにイギリス第一空挺師団のベテランの方だとわかった。

 

それでおじいさんに質問をすると、やはり、
「私はイギリス第一空挺師団のベテランで、フロスト中佐の部下だったんだよ。思い出の地であるここに住んでいて、たまにボランティアガイドをしているんだ」
と教えてくれた。それで、僕はおじいさんに、
「不幸にも第二次大戦では日本とイギリスは敵同士でしたが、日露戦争と第一次世界大戦の時は日本はイギリスと同盟しており、そのお陰で世界の列強になることが出来ました」
と言った。それで、おじいさんが教えてくれたことだけど、既に「遠すぎた橋」を50回以上見ている僕にとっては別に真新しい事実はなかった。でも、元英第一空挺師団のベテランの方と話が出来たのは大きな収穫だった。

 

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これは、アルンヘムにある「ジョン・フロスト橋」の写真で、「マーケット・ガーデン作戦」で連合軍が最後の目標としていた橋である。しかし、ドイツ軍は精鋭のビットリッヒSS中将の率いるSS第2機甲軍団をここに投入して、映画に描かれているようにアルンヘムに降下した英第1空挺師団をせん滅して、さらに、連合軍の本隊もこの橋を渡ることが出来なかった。1944年9月に行われたマーケットガーデン作戦が失敗したことにより、連合軍が早期にライン川を渡ってドイツを降伏させることは不可能となり、ナチスドイツが降伏するのは1945年5月まで遅れることとなった。マーケットガーデン作戦での両軍の死傷者は約2万人だった。この橋が第二次大戦を研究する歴史家にとってとても重要なのは、両軍合わせてそれほどの損害を出した戦いの舞台だからである。

 

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上の2枚の写真は、アルンヘム橋の袂に建つマーケットガーデン作戦」を説明する記念碑とイギリス軍の25ポンド砲。「解放軍」であった連合軍を讃える記念碑はたくさん建っているが、当然ながら「悪役」だったドイツ軍を讃えるような記念碑は立ってない。ただ、戦死をしたドイツ軍兵士の墓地というのは、「マーケットガーデン作戦」の激戦地だった地区、ノルマンディ地区にもたくさんある。

 

こちらが「マーケットガーデン作戦」のウィキペディアの説明。

 

ja.m.wikipedia.org

 

 

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アルンヘムの「ジョン・フロスト橋」に建つ1944年9月17日から行われたアルンヘム橋を巡る、イギリス第1空挺師団のフロスト中佐の部隊と、ドイツ第2親衛隊機甲軍の戦いの説明。そして、なぜこの橋の名前が戦後は「ジョン・フロスト橋」になったのかというその由来についても、詳しい説明が書かれている。この場所は恐らく、フロスト中佐の部隊が橋を守っていた時には、空挺部隊の陣地があった場所だと思う。

 

だが、残念なことにアルンヘム、ナイメーヘンは戦争で徹底的に破壊されたせいか、今は広い車道と自転車道の通る近未来的な都市に生まれ変わっており、当時の面影がほとんど見られないのでガッカリすると思う。