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ポーランド独立を助けた日本製ライフル銃

2007年にポーランド西部のポズナニ市に行ったが、そこの軍事博物館で男性係員が「第一次大戦後にポーランドがロシアから独立した時に、ポーランド人たちはロシア軍の兵器庫を襲撃して、そこに貯蔵されていた日本製の有坂銃を奪って独立戦争を戦ってロシアに勝った」と教えてくれた。

 

 

今日は、2007年7月にポーランドのポズナニという街に行った時の話を書こうと思う。

 

2007年にポーランド東部のシュチェチンという街に住むメル友だったポーランド人女性のEに会いに行った時に、彼女はシュチェチンから電車で1時間半ほどの距離にあるポズナニの仕事の面接を受けるというので、彼女と一緒にポズナニに行ったことがあった。Eが仕事の面接を受けている間は僕はポズナニ市内を観光して、軍事マニアの僕はポズナニの軍事博物館を見に行った。上の写真はポズナニ中心部に立つ市庁舎。日本の市庁舎の建物とは違ってヨーロッパ風の美しい外観だった。

 

軍事博物館に行ってみると、外には旧ソ連製でポーランドが共産主義国だった頃に使用された戦車などの武器が展示してあった。博物館は要塞の火薬庫として使用されていた建物の中にあった。

 

建物の中には中世、ナポレオン戦争の頃から現代に至るまでのライフル銃などの武器が展示されていた。入場料は無料だったが30歳くらいの男性係員に、「展示している武器の写真を撮影してもいいですか?」と質問をすると、男性係員はちょっと冷たい感じで「写真を撮影するなら入場料を払う必要があるよ」と言った。だいたい、日本円で500円くらいだったと思う。そんなに興味深い武器は展示されていなかったので、お金を払わないといけないなら別に写真を撮る必要はないと思った。

 

さっきの係員が「あなたは日本人ですか?」と質問してきて「そうです」と答えると、彼はニコリと笑い「ここに展示されているライフル銃は日本製の有坂ライフルなんだ。日本がロシアと戦った日露戦争があっただろ?その時にポーランドという国はなくて、ロシアとドイツによって分割されていたのだが、第一次大戦末期にロシア革命があってロシア帝国が崩壊すると、ポーランド人たちはロシア帝国の武器庫に貯蔵されていた日本製の有坂ライフルを奪って、それを使用してソ連との独立戦争を戦って独立を勝ち取ったんだ。ロシア帝国軍の武器庫に有坂ライフルが貯蔵されたいたというのは、ロシア製ライフルよりも日本の有坂銃の方が優れていたからなんだ」と教えてくれた。ここで彼が言う有坂ライフルというのは、日露戦争で日本陸軍が使用した小銃は有坂銃の前に採用されていた村田銃だから彼の知識はちょっと間違っているのだが、銃には確かに日本語が書かれていて日本皇室の象徴である菊の紋章もあった。でも、日本から遠く離れたポーランドの軍事博物館で日本製ライフルの活躍を聞くとは、夢にも思っていなかったことだった。

 

 

前にも書いたことだが、ポーランド人はかわいそうな民族であり、日露戦争の時にポーランドの東半分はロシア帝国領だったので、多くのポーランド人男性がロシア兵として日本軍と戦わされた。それ以外にも今のウクライナ戦争、旧ソ連共産主義時代の弾圧などがあるので、ナチスドイツによってポーランドは虐待されたが、ポーランド人はドイツよりもロシアの方に強い怒りを感じている。

 

 

ポーランド人というのは本当にかわいそうな民族であり、日露戦争の時はポーランドの東半分はロシア帝国の一部だったので、多くのポーランド人男性はロシア兵として旧満州でロシア兵として日本軍と戦わなければならなかった。そして、今でも日本各地に日露戦争の時のロシア兵墓地があるが、それらの墓地に多くのポーランド人男性がロシア兵として葬られている。それらの墓地をポーランド人レポーターと日本人が紹介するテレビ番組を、YOUTUBEで見たことがある。

 

随分と前にもポーランド関係のブログ記事に書いたが、今のウクライナ戦争でも「ウクライナがロシアに占領されたら、次はポーランドかもしれない」というロシアへの恐怖感、旧ソ連時代の共産主義による弾圧、その前にも東半分をロシア帝国に併合されていたという歴史がある。だから、ポーランドというとナチスドイツが第二次大戦中にアウシュヴィッツ強制収容所などを建てて虐待した歴史があるが、ナチスの恐怖は第二次大戦の6年間だけだったので、それよりももっと長い期間ロシアと旧ソ連はポーランドを虐待していたので、ポーランド人はドイツよりもロシアの方に強い怒りと恐怖を感じているようだ。