- 1970年に公開された戦争映画「トラ、トラ、トラ!」は海戦を描いた戦争映画としては傑作であるが、1967年にハリウッドの映画会社は日本側の描写を黒澤明にお願いしていた。
- しかし、黒澤監督は真珠湾攻撃のシーン以外にも、日本軍が真珠湾攻撃を行った頃に同盟国のナチスドイツ軍は東部戦線で敗北していたとか、日本がなぜ米英と開戦したのかという過程を詳しく描こうとして、ハリウッド映画会社と対立した。
- ハリウッド映画会社と対立して「トラ、トラ、トラ!」の監督から降ろされた黒澤は、後に自殺未遂事件を起こす。そして、自殺未遂事件後の黒澤監督の作品は事件前とはかなり変わっている。
1970年に公開された戦争映画「トラ、トラ、トラ!」は海戦を描いた戦争映画としては傑作であるが、1967年にハリウッドの映画会社は日本側の描写を黒澤明にお願いしていた。
昨日は真珠湾攻撃があった日で、日本が第二次世界大戦に参戦してから79年目の日だった。真珠湾攻撃については、「なぜ、宣戦布告が真珠湾攻撃の2時間後になってしまったのか?」、「日本海軍は旧式戦艦を沈めただけで、最も重要な目標である空母を沈められなかった」、「アメリカ政府は本当は日本軍が攻撃してくることを、事前に知っていたのではないか?」などの色んな議論がある。
写真上は1970年に公開された映画「トラ、トラ、トラ!」のポスター。有名な映画評論家は、「戦争映画の最高傑作は『史上最大の作戦』であるが、海戦を描いた映画では『トラ、トラ、トラ!』だろう」と映画評論の本に書いていた。
しかし、黒澤監督は真珠湾攻撃のシーン以外にも、日本軍が真珠湾攻撃を行った頃に同盟国のナチスドイツ軍は東部戦線で敗北していたとか、日本がなぜ米英と開戦したのかという過程を詳しく描こうとして、ハリウッド映画会社と対立した。
今思えば、黒澤監督の構想、脚本による日米合作の「トラ、トラ、トラ!」が完成し
僕のネット友達の人が黒澤脚本の一部を紹介していたが、それによると、真珠湾で日
さらに、山本五十六が連合艦隊司令長官に着任するオープニングシーンでは、山本と
そして、日独伊軍事同盟締結から真珠湾攻撃までを、日米政府間の交渉だけでなく、
だが、当然、ハリウッド側からクレームが付き、
「ただ、単に、真珠湾攻撃とそれに関係あるシーンだけを描いてもらいたいのに、モスクワ直前で敗北したドイツ軍のシーンとか、海軍大学校での机上演習の時に、艦隊派
と言われてしまったという。
ところが黒澤は、
「大日本帝国が主義主張が多くの点で違うナチス・ドイツと軍事同盟を結び、その結果、ドイツ
と断言し、ハリウッド側とは妥協しない構えだった。
その黒澤の強硬さにハリウッド側は呆れてしまい、撮影開始からたった3週間で、黒澤を
ウィキペディアの映画「「トラ、トラ、トラ!」の説明には、黒澤明対ハリウッド映画会社の対立の様子が詳しく描かれている。写真下は「黒澤明VSハリウッド」という本。
ハリウッド映画会社と対立して「トラ、トラ、トラ!」の監督から降ろされた黒澤は、後に自殺未遂事件を起こす。そして、自殺未遂事件後の黒澤監督の作品は事件前とはかなり変わっている。
ところが、これには、後日談があり、この後、黒澤はノイローゼ状態になり、監督降
「3年も熱中していた企画を突然打ち切られたら、監督は殺されるのと同じことだ。
と黒澤は語った。また、親しい人には、
「私の映画を理解してくれる人が、ハリウッドには誰もいないようだ。映画は芸術のハズ
など言って嘆いていたと言われている。
黒澤監督作品をよく知っている人が言うには、
「『トラ、トラ、トラ!』の降板劇による自殺未遂の前の作品と後の作品は、明らかに違って
とのことだ。確かに「椿三十郎」(自殺未遂前)と影武者(自殺未遂後)では、か
まあ、黒澤監督が構想したように仕上がった「トラ、トラ、トラ!」を見たいと思うけど、現
ちなみに、日本では「トラ、トラ、トラ!」はかなりヒットしたが、アメリカではあ
一方で当然ながら同盟国だったドイツではこの映画は人気があり、1999年にホームステイをしたシュツットガルト近郊に住むH家の人たちもこの映画を見たことがあると言っていた。そして、主人のRさんは僕に「たしか、『トラ、トラ、トラ!』には何か意味がありましたね?」と質問してきた。「ティガー(ドイツ語で虎の意味)ですよ。でも、ドイツ軍の有名なティガー戦車とは関係ないですけどね」と僕が教えると、Rさんは頷いていた。
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