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ゼレンスキー大統領は日本を誤解してはいない

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ゼレンスキー大統領

 

 

 

依然としてウクライナで戦争が続いていますね。世界中が注目するニュースなので今日もウクライナ戦争に関するブログ記事を書くことにします。

 

 

ゼレンスキー大統領がアメリカ議会でリモート演説をした時に、アメリカ人に訴えるために日本軍が行った真珠湾攻撃を持ち出したので、僕を含む多くの日本の右翼思想の人は違和感を感じた。

 

 

ゼレンスキー大統領がアメリカ議会で3月16日にリモートで演説をした時に、2001年9月11日の同時多発テロと日本軍による真珠湾攻撃と同様に、今のウクライナはロシア軍から突然の奇襲攻撃を受けて困っている。アメリカ人は奇襲攻撃で戦争が始まった辛さがよくわかるだろうと言ったというので、一部の日本人の右翼論者、特にネトウヨはカンカンに怒っていると聞いてる。僕もゼレンスキー大統領がアメリカ人の興味をひくために80年も前の真珠湾攻撃を持ち出したのには、かなりの違和感を感じた。

 

真珠湾攻撃山本五十六海軍大将が立案したもので、日本の外務省の小さなミスが重なって予定とは違って宣戦布告が真珠湾攻撃開始の2時間後になってしまった。初めから意図的に宣戦布告の後に攻撃をするという、国際法違反の攻撃だったのではない。それにプーチンとは違い、宣戦布告が攻撃開始の後になったと聞いて、山本大将はとても落胆して、「アメリカという眠れる巨人を起こしてしまったので、真珠湾攻撃は大失敗だった」と言って嘆いた。この辺のくだりは映画「トラトラトラ!」にとてもよく描かれている。

 

 

日本人が第二次大戦の時のウクライナ人をよく知らないように、ゼレンスキー大統領を初めとするウクライナ人も当時の日本のことをよく知らないのだろう。ハリウッド映画に出てくる悪役日本軍のイメージが強いのかもしれない。

 

 

それでは、なぜセレンスキー大統領はアメリカ国会議員への演説で真珠湾攻撃の話を持ち出したのかというと、やはり、ウクライナという東欧の国では政治家でも、大日本帝国が米英との戦争に至った過程というのをよく知らないのだろう。東ヨーロッパではやはりヒトラーの率いるナチスドイツという最悪の国家と軍事同盟を結んでいた日本というイメージがあるので、「ヒトラーナチスドイツは最悪の国というイメージだから、それと同盟していた日本をちょっと悪く言ってもかまわないだろう」と思ったのかもしれない。もちろん、日本人から言わせれば、「別にヒトラーナチスドイツが大好きで軍事同盟を結んだのではなくて、日中戦争が泥沼状態となってしまって国際的に孤立していた日本は、やむを得ずに同じようなファシズム国家で国際的に孤立していたナチスドイツと同盟するしか手がなかった」という言い分があるのだが、東欧のウクライナでは、そういう当時の日本の詳しい事情があまり知られていないのだと思う。

 

あと、それ以外には国際的に強い影響力があるアメリカのハリウッド映画の影響もあるだろう。東欧のウクライナ人が第二次大戦時の日本について知るとすれば、米英が作ったドキュメントフィルムを見るか、ハリウッド戦争映画を見るかだから、そういう勝者の米英視点のドキュメントと映画を見たので、「第二次大戦の日本はナチスドイツと同じように悪い国だった」というイメージが、ウクライナ人の間では強いのだと思う。第二次大戦の日本軍を描いた映画でヨーロッパでよく見られているのは、やはり、「戦場にかける橋」「トラトラトラ!」「硫黄島からの手紙」などのハリウッド映画である。こういう戦争映画を見ると、やはり、日本軍=悪というイメージが強くなる。一方で、我々日本人がウクライナ戦争が始まるまでは、第二次大戦の時のウクライナ人のことをほとんど知らなかった。だから、この歴史認識の違いについてはお互い様ということになる。

 

3月23日のゼレンスキー大統領の国会での演説は、日本がロシアに日露戦争で勝ったことを持ち出したこと以外は無難な演説だった。

 

 

3月23日の午後6時からあったウクライナのゼレンスキー大統領の日本の国会での演説では、ちょっと攻撃的だったのは「日本は初めてアジアでロシアに圧力をかけた国であり」と言って、日本が日露戦争に勝ったことくらいで、それ以外は無難な演説だったと思う。旧ソ連が日ソ中立条約を破って日本を攻撃したこと、北方領土問題などは持ち出さなかった。一方でプーチンのロシアに日本が経済的圧力をもっとかけて、ロシアの戦争継続能力を奪うこと、戦後のウクライナの復興に日本が貢献してほしいことなどを訴えていた。やはり、ゼレンスキー氏は日本が平和憲法を持っていて軍事力の行使に慎重であることを知っているので、軍事的な貢献は日本にはあまり期待してなくて、戦後の復興に貢献してほしいことなどを訴えていた。日本の戦後の平和外交を尊重しながら、先進国の日本に経済的な協力を求めたよく考慮された演説だったと思う。