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広島の女子は陽気でおしゃべりな子が多かった

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僕は父が銀行員で転勤族だったので小学校卒業までに色んな都市に住んだが、一番かわいくて優しい女子が多かったのは広島だった。

 

僕の父が大手銀行勤務の転勤族だったので、小学校時代に父の転勤に伴って日本各地に住んだことは既に前のブログ記事に書いたが、住んだ都市の中で一番かわいくて優しい女子が多かったのは広島だった。ただし、広島の次に住んだ西宮は1年2か月ほどしかいなくて少ない女子としか知り合えなかったから、ちょっと参考にならないかもしれない。写真上は今の広島市の街並み。でも、僕が広島に住んでいた昭和50年代は、これほど高層ビルが建ち並んではいなかった。

 

広島には2年半ほど住んだが、広島の女子の特徴は陽気でおしゃべりな子が多いこと、すごく暑いので夏の終わりには日焼けして、肌が東南アジア人みたいに茶色になる子が多いことである。それから女子の特徴とは関係ないが、広島は小学校から制服なので私服姿はほとんど見たことがない。私服で小学校に来ることは禁止されていた。

 

 

小学校5年生の時にIさんというかわいい女子がいて、僕は両親が東北の仙台の人間だから将来は仙台に住むことが決まってるということを知ると、興味を持ってたくさん僕に話しかけてきた。

 

 

広島の小学校で5年生の時に、Iさんというとてもかわいくて陽気でおしゃべりな女子がいた。Iは僕と話をしていて僕の両親が東北の仙台市の人で、将来は家族は仙台市に住む予定ということを知るととても僕に興味を持った。

「それなら、うちとG君(僕のこと)は幼馴染として恋愛して広島で結婚生活を送ることはできないの?広島に永住することはないの?」

「それはまずないのお。わしは両親が仙台の人間じゃけん、将来はもう仙台に住むことが決まっとるんじゃ。わしと結婚したかったら仙台に来なあかんのお」

「それはショックやわ。うちの両親は子供の頃から知り合いで結婚したというのに、G君と結婚するには仙台にまで行かなあかんとは、生まれも育ちも広島のうちにはそれは無理じゃわ」

こんな感じで、Iさんは両親が仙台人という僕に特に興味を持ってよく話しかけてきた。他の女子も僕の両親が東北の仙台人ということには興味を持っていたし、恋愛して結婚できる可能性が極めて低いということは、とても残念と思っていたようだ。つまり、僕は広島では珍しい男子生徒だったので、ある程度は女子にモテていたようだ。(笑)

 

 

僕が男子のM君とケンカをして泣いてると、Iさんは「G君は転校生だから、生まれも育ちも広島のうちらにとってはお客様みたいなもんやろ?そんな転校生を泣かすなんて広島人として最低やわ」と言ってM君を叱った。

 

 

こんなこともあった。僕と友達が何かの勉強のことで話しをしていて、僕は優等生タイプだったから思わず、「そんなことも知らんのか?」とか言ってしまった時に、男子のM君から「そんなことも知らんで悪かったの?お前は勉強ができるからそれぐらい知ってるとか、わしらのことをバカにしとるんじゃろ!だいたい、お前は転校生なのに生意気なんじゃ!」という風に怒鳴られて突き飛ばされた。僕は子供の時は泣き虫だったからびっくりして泣いてしまった。

 

すると、Iさんがすぐに来て、「M君は転校生で友達の少ないG君を突き飛ばしていじめるなんて最低やないの?G君は生まれも育ちも広島のうちらとは違って、家族5人だけで広島に住んどるんよ。うちらのように家族も親戚もみんな広島におる人とは違って、G君は転勤族やからお客様みたいなもんやないの。そんな弱い人をいじめるなんて、M君は広島人として最低じゃわ」

このようにIさんがM君を叱ると、他の生徒も「そうじゃ、そうじゃ、Mは最低じゃ」と言ってIさんに同意した。すると、M君の方が困った顔をした。それで、最後にIさんは僕の肩を叩いて「G君もいつまでも泣いとったらあかんで。あんたも男じゃろ?」と言って励ましてくれた。最後の励ましは女としての優しさでもあったが、ちょっときついとも思った。

 

 

僕が小学校5年の1月に広島から大阪に引っ越すことになったと告げると、Iさんはやはりとても悲しんでいた。

 

 

それから、その後、父は転勤族なので僕が小学校5年の1月に父は広島から大阪に転勤する辞令を貰ってきたので、家族は広島から大阪に引っ越すことになった。引っ越すことを先生に告げて先生の口から同級生に伝わると、やはりIさんはすごく悲しんでいた。「やはり、G君は転勤族じゃから引っ越すことになるんか。G君とはもう恋愛も結婚もできんから残念じゃね。お父さんだけ大阪に行って、家族が広島に残るとかできないの?」「それは無理じゃのお。もともと、広島の人間じゃないし、家族がばらばらになってしまうけん」。引っ越しを伝えた後には、こんな会話をしたと思う。

 

それで、いよいよ広島の小学校に通うのが最後となった日には、仲が良かった男子の友達のA君B君C君と女子生徒5人と放課後まで話をしていたけど、放課後もいつまでも学校に残れないので僕を中心にしてみんなで校門に向かった。僕もみんなも泣いていた。Iさんは「大阪に行ってもうちらを忘れんで、うちらに手紙を書いてや。うちら待っとるけん」と僕に言った。「でも、お前の住所をわしは知らんけど」「それなら、クラスに手紙を書いてや。みんなで読むけん」「うん、わかった」

 

僕はみんなに泣きながら校門の前で「もう、ここでええよ。どうやっても大阪まで一緒に行くことは無理じゃから」と言ったので男子のA君B君C君とは校門の前で別れた。でも、Iさんは「うちらはもうちょっと一緒についていくわ。別れるの悲しいけん」と言った。しかし、僕は確かにIさんとはよく話しをしたが、あまり女子とは会話をする男子ではないので不思議に思った。「でも、わしは女子とはあまり話をしなかったじゃろ?それなのにまだついてくるの?」「たしかに、G君はうちらとはあまり会話をしなかったけど、明日からG君がいないと思うと寂しいんじゃ」と女子の1人は言って、5人くらいがついてきた。それで、校門の外の道路をしばらく一緒に歩いて僕の家の方角に曲がる曲がり角の所までついてきてくれて、そこで5人の女子とも別れた。

 

 

僕はあまり女子と会話をする男子ではなかったのに、女子が僕との別れをすごく悲しんだというのは、高校野球の応援をしている女子生徒が母校が負けると、野球部員よりも泣いているのを見れば理由がわかるだろう。(苦笑)

 

 

僕はその後、家に向かって歩きながら、女子とはあまり話をする男子ではなかったのに、なんで女子はあんなに僕との別れを惜しんだのかと不思議に思った。でも、女性というのはその時その時の雰囲気と気分に流される気質があり、たとえば、高校野球の応援をしている女子生徒は自分の母校が負けると、野球がとても好きとか、野球部に恋人がいない場合でも号泣する女子が多い。野球部員の男子よりも号泣している女子がいる。それでいて、数日後には野球部が負けて泣いたことを忘れている。僕が転校するので悲しかったという女子もそんな感じだったのだろう。その証拠に男子生徒の中には、大阪(ただし、銀行の社宅があって、住んだのは西宮)に手紙を送ってきた男子生徒はいたが、女子は誰も手紙を送ってこなかった。(苦笑)

 

 

以上、今日は広島時代の女子生徒との思い出について書いてみました。広島の女子は10年ほど前に広島に旅行した時にも感じましたが、やはり西日本で陽気な女子が多いので、恥ずかしがらずに男子とよくおしゃべりをする人が多いです。それに比べると東北の仙台の女子というのは、僕が仙台に引っ越してきた時にも違和感を感じたのですが、やはり東北の女子は恥ずかしがりで大人しい人が多いので、あまり男子と会話をしません。これには、宮城県の高校は10年ほど前までは公立高校でも男子校女子校に分かれていた高校が多かったということも、影響していたのかもしれません。だから、僕が仙台に引っ越してきた昭和時代とでは、今の仙台の女子学生はかなり変わってるかもしれません。