Deutschland-Lab

Deutschland-Lab

歴史や文化、スポーツなどドイツに関する情報まとめサイト

関西では個人情報がすぐに知れわたる?

f:id:novaluewriter:20211117140602p:plain

 

 

 

最近は僕が転校が多かった小学校時代の頃の話を書いてますが、今日は広島から西宮に引っ越した時の話を書きます。

 

何度も書いているけど、僕の父は全国と海外にも支店がある大手銀行に勤務してたので、僕の家族は僕が中学校に入学するまでは全国各地を引っ越していた。仙台に最終的にマイホームを建てて落ち着いたのは、両親共に東北の宮城県出身だったからだった。

 

西宮の小学校に引っ越してきた時に、職員室で転校の手続きをしていたら校長先生が入ってきて、家の個人情報が書いた書類を声を出して読み始めた。職員室にいた先生たちが父が大手銀行勤務の転勤族とかいう家の個人情報を知って、「大手銀行勤務はうらやましい」とか言っていた。

 


広島から西宮の小学校に小学5年の3学期に転校した時のことだった。僕と妹の小学校への転校手続きがあったので西宮市内の新しい小学校に行って、職員室で手続きが終わるのを母と妹と待っていた。西宮市内の小学校に引っ越したというのは、父は大阪の心斎橋にある銀行の大阪支店勤務だったのだが、銀行の社宅アパートがベッドタウンである西宮市にあったからだった。しかも、最寄りの阪急西宮北口駅には特急も通勤特急も全部が止まるので、心斎橋まで1時間以内で着くという便利な場所だから社宅があったのだった。写真上は、西宮北口にあった小学校の窓から見えた阪急ブレーブス本拠地の西宮球場。今は西宮球場は取り壊されて、「西宮ガーデンズ」というショッピングモールになってる。


すると、そこの小学校の校長先生が職員室に入ってきて「君は転校生か?どこの小学校から転校して来たんだ?」と僕にきいた。広島の小学校から妹と一緒に転校してきたこととか、個人情報が書いてある書類を新しい担任の中年女性の先生が渡した。僕の家族名もGで新しい担任の先生の家族名もGで同じだった。

すると、校長先生は家族の個人情報全部を職員室の先生全員に聞こえるくらいの大声で、音読を始めてしまったのだった。
「君たち(僕と妹)のお父さんは東北大学卒業で〇〇銀行に勤務してるんやな。だったら、君たちはエリートの子供なんだ。それで、小学校入学も東京の目黒区やからこの小学校で3校目なんやね。転校が多くて大変やね。それで、転校が多い割には成績優秀なんや。よく頑張っとるな」
それを聞くと職員室にいた先生たちは、
「ほ~、〇〇銀行勤務でっか、優秀ですな。給料もええんやろな。それに、転校が多いのに優秀とかやはりお父さんが優秀だからでしょうな」
とか、家の個人情報を聞いて色々と雑談を始めた。

新しい担任のG先生も、
「前の小学校からの調査書とか見たら、成績優秀で手のかからない大人しい生徒やいうから私も安心してますわ。私もこの子をしっかり指導せなあきまへんな」
とか言って笑っていた。

 

クラスに入った初日の給食の時間に、担任の先生が僕の家の個人情報をクラスの生徒みんなに教えた。銀行員の転勤族の子供だから何度も転校してるけど成績がいいということを知って、同級生は驚いていた。

 

 

それで、次の日にG先生のクラスに入った後も昼の給食を食べていた時に、G先生は僕の家族の個人情報をクラスの全生徒に話した。
「G君はな、広島から引っ越して来たけど広島生まれちゃうよ。両親ともに東北の宮城県の人やけど、お父さんが東北大学卒業して銀行員をしてはるから、今までに全国各地を引っ越していたんや。G君、生まれはどこやたかな?」
「愛媛県の松山生まれです。その後、名古屋、東京、広島と引っ越しました」
「そや、それだけ引っ越してるけどG君は成績優秀やねんで。Y君(クラスで一番優秀な生徒。後に中学受験をして灘中学校に進学した)と同じくらい優秀やねんで」
生徒全員が「エ~~ッ、スゴイ!」という歓声を上げた。

I君という男子が、
「成績優秀でおとなしい転校生なんて、ちょっとむかつくな。Gはケンカとかせえへんのか?なんか俺に言い返すことはないんか?」
とちょっとケンカ腰の態度で言った。
G先生が、
「I君、やめとき、I君と大人しいG君は合わへんということなんや。G君をいじめたらあかんで」
と言って注意をした。他の男子生徒もI君を注意したので彼は黙った。

 

 

そのクラスでは男子の間で戦車などの模型を作るのが流行っていたので、「俺は戦車の模型をたくさん持ってる」と言ったら、まだ転校してきて数日後なのに8人もの同級生が家に遊びに来た。

 

 

関西地方の西宮に引っ越してきてやはり思ったのは、「先生も生徒もよくしゃべるな」ということだった。それに、よくしゃべる人たちだからけっこう仲間に入りやすかった。運よく、そのクラスではタミヤ模型のドイツ軍などの戦車の模型を作るのが流行していたので、「俺はタミヤの戦車の模型をたくさん持ってるよ」と言ったら、「みんなでGの家に遊びに行こう」ということになって、引っ越してきて3日後くらいにクラスの男子の8人がまだ引っ越しの荷物が片付いてない家に遊びに来た。

 

家に帰ってきて、「お母さん、ただいま。友達が遊びにきたよ」と言うと母は、「もう友達ができて遊びにきてくれたの?よかったね」と言った。でも、「おじゃまします」と言って、いきなりぞろぞろと8人も友達が遊びに来たので、母は「そんなにたくさん家に入らないよ」と言ってすごくびっくりしていた。まだ引っ越してきて梱包したままの荷物がたくさんあったが、8人も遊びに来てくれたのでその日のうちに荷物は全部ほどくことができた。いきなり8人も友達が遊びに来て荷物が全部ほどけていたことには、父も銀行から帰ってきてびっくりしていた。

 

 

今日は西宮に引っ越した最初の数日間の出来事について書きましたが、基本的に関西人、特に阪神地区の人はすごくおしゃべりなので、個人情報とかはすぐに知れわたってしまいました。でも、父の転勤が多い転勤族家族の場合はすぐに周りの人に知れわたる方が生活はしやすいです。それに、周りの人にもすぐに受け入れてもらえますから。逆に西宮から東北地方の仙台に引っ越した時にはおとなしい人が多かったので、僕の家族の個人情報が学校の周りの人に知れわたるまでに半年以上もかかったので、仙台に馴染むまでにかなり時間がかかりました。