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西宮の小学校の同級生は面白い人が多かった

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僕の父は銀行員だったので転勤が多くて、僕の家族は小学校卒業までに日本各地に住んだことを書いているけど、今日は大阪の近くの西宮の小学校に通った時のことを書こうと思う。西宮の小学校には小学校5年生の1月末から小学校卒業まで住んだ。上の写真は僕が通っていた西宮市の瓦木小学校。

 

 

西宮の小学校に転校してきてすぐの時に、数人の男子が黒板に男子と女子の名前と相合傘を書いて、「結婚します玉姫殿」という落書きを書いた。僕の名前が書かれたこともあった。担任の先生はそれを見て笑っていた。

 

 

広島から西宮の小学校に転校してきて、まだあまりクラスに馴染んでない時に昼休みに数人の男子が黒板にN(男子)M(女子)という名前と相合傘を書いて、「結婚します玉姫殿」という落書きを書いた。玉姫殿というのは当時は関西で有名だった結婚式場の名前である。昼休みが終わってG先生(僕と名字が同じ)が入ってきて落書きを見て、「あれま、N君とMさんは結婚するんかいな?先生もその時は呼んでな」と言った。先生は落書きを消しながら、「Mさん、N君をどう思う?結婚してみたいか?」と質問した。Mさんはかわいい女子だったが立ち上がって、「N君は性格悪いから絶対に結婚なんてしません。だいたい、男子はなんでこんな気持ち悪いことするの?うちのことが好きなら告白すればええやろ?でも、あんたらなんかとは付き合わへんけど」と言って怒っていた。先生は、「まあまあ、Mさんもそんなに怒らないで。あんたがかわいいから、こういうこと書かれるんでしょ」と笑って言った。

 

それから数日後にはまた、昼休みに男子が数人で「結婚します玉姫殿」と書いて相合傘を書いて、Mさんの名前を書いた。それで、男子の方には僕の名前を書いた。「G(僕のこと)は転校生やろ?いじめみたいやんか」という人もいたが、「ええやんか、面白いやんか」とか言っていた。それで、先生が入ってくると先生は「あれま、今日はMさんはG君と結婚するんかいな?Mさん、転校生のG君はどう思う」と質問した。Mさんはまた立ち上がって、「G君は生まれも育ちも西宮のうちなんかとは違って、あちこち引っ越しているのに成績がいい優等生だから、うちなんかとは合わないと思います。それに、まだ転校してきたばかりのG君の名前を書くのはいじめやないの?」と言った。G先生も、「そやな、まだ転校してきたばかりのG君をいじめたらあかんで」と言った。

 

 

小学校6年生の時に能勢妙見山に学年全員で遠足に行ったのだが、帰りの下りの山道はかなり険しかった。すると、すごく険しい箇所で隣にいたMさんという女子が「G君、しっかりしとってや、うちG君につかまるかもしれんから!」と急に叫んだ。

 

 

その後、小学校6年になる時にクラス替えがあったけど、僕はMさんとまた同じクラスになった。でも、僕はあまり女子とは話をしないタイプの男子であり、男子との人間関係で精一杯だったので、別に仲が良いというわけではなかった。

 

それで、10月に6年生全体で能勢妙見山に遠足に行く行事があった。僕の小学校の最寄りの駅は阪急電鉄西宮北口駅だったが、そこから阪急今津線、宝塚線、能勢電鉄を乗り継いで能勢まで行ったのだった。その帰り道はかなり険しい舗装していない下りの山道で、岩が転がっていたり、道の真ん中が窪んだりしていた。その道がどんどんとひどくなっていって、岩と丸太がごろごろと転がっていて、道の真ん中が深く窪んでるという状態になった。引率する担任の30代の女性教師も副担任の30代の男性教師も、「ここが今日、一番の難所やな」とか言っていた。

 

男子と女子が2列になって歩いていたのだが、突然、僕の横に立っていたMさんが、「G君、しっかりしとってや!うち、G君につかまるかもしれんから!」と大声で僕に言った。周りの同級生が「ひゅー、ひゅー!」とはやし立てた。僕は「なに、ゆうとんねん!」と言って照れくさい顔をした。叫んだMさんは、「うちは弱い女やから、当たり前のことを言うただけやないの」という感じで平然としていた。それで、Mさんが突然にすごく仲が良いわけでもないし、体が弱くて運動が苦手な僕になんでそんなことを言ったという理由は、全くわからなかった。僕の前と後ろを歩いていた男子の方が、絶対に体が頑丈で運動も得意だった。ただ、Mさんのすぐ横に立っていた男子は僕だったけど、どう考えても僕は体が弱くて頼りになる男子ではなかった。女とは不思議なことをたまにする。(笑)

 

 

その後、当然ながら僕はMさんのことが気になったが、Mさんは遠足の後は僕には何も言わずに小学校卒業を迎えた。女子はその時の気分で色々と言うことが変わる。

 

 

それから、学校に帰ってきてMさんのことをちょっと見ていたが別にその後は僕に何も言わなかった。遠足の後の学校の日々でも、僕に特別に何か言うことはなかった。僕が西宮から仙台に引っ越すことを担任の先生がクラスメイトに告げた時も、何も言わなかった。2月14日のバレンタインデーの日には、女子の中には男子にチョコレートをあげていた人も何人かいたが、Mさんは僕にチョコレートをくれなかった。結局、Mさんと僕はその後は特別にお互い何も言うことなしに、卒業式を迎えて僕は仙台に引っ越した。阪神地区というのは灘中学、関西学院中学などの私立中学校がたくさんあるから中学受験をする生徒が多いが、Mさんは私立女子中学校に入学したので、どうやら、ちょっとしたお嬢様だったらしい。だいたい、「女心と秋の空」というから、女というのはその時の気分で色んなことを言うが、数日後にはそれを忘れるていることが多い。しかし、男はその女の言葉で振り回されるのである。(苦笑)

 

 

以上、前回と今回は広島と西宮の女子の思い出について書きました。僕はその後宮城県の仙台市の中学校に入学しましたが、仙台の大人しくて恥ずかしがりの女子に比べると、西日本の広島と西宮の女子はおしゃべりではっきりとものを言うし、ちょっと性格もきついです。でも、大人しくてあまり男子に声をかけてこない仙台の女子に比べると、西日本の女子のようにおしゃべりで男子によく声をかける人の方が、大人しい転校生の僕にとっては付き合いやすかったです。もちろん、仙台も僕が中学生高校生だった昭和時代に比べるとかなり大きな街になって、男女交際もかなり盛んになっているので、今の仙台の若者はかなり変わってると思いますが。