- 京都出身の上岡龍太郎が「笑っていいとも」に出た時に、「東の京と書いて東京やから、地名からして東にある京都ということを認めている。そやから、本来は京都弁が標準語であって東京の言葉は方言なんやで!」という事実を語っていた。
- この上岡龍太郎の話を聞いて「笑っていいとも」の司会のタモリも会場の客も納得して拍手をした。小学生の時に西宮に住んだ僕も、関西人は関西弁に誇りを持ってることがよくわかった。
- 今の日本の標準語は明治維新の時に初めて統一された中央主権の日本政府が出来た時に、新政府の役人たちが東京の山の手言葉を標準語と決めたのである。しかし、かつて天皇陛下が住んでいて都があった奈良、京都などの関西地方の人たちは納得できなかった。
タイトルどおり、日本の標準語は東京の山手地区の言葉とされてますが、本当に日本の標準語は東京の言葉なのだろうかということを考えてみようと思います。
京都出身の上岡龍太郎が「笑っていいとも」に出た時に、「東の京と書いて東京やから、地名からして東にある京都ということを認めている。そやから、本来は京都弁が標準語であって東京の言葉は方言なんやで!」という事実を語っていた。
1990年頃に吉本興業が東京に進出して、吉本所属のお笑い芸人の上岡龍太郎が「笑っていいとも!」にゲストとして出てタモリとトークをした時に、こういう話をしていた。
「君ら、東京人は東京言葉を標準語と思っていて、僕のしゃべる京都弁を”方言”と呼んで見下しているようやが、東京という漢字をよく見てみい。東の京と書いて東京やろ?そやから、自分たちで東の京都ということを認めとるやないか?そもそも江戸時代までは京の都というふうに御所があって、皇室が住んでいた京が日本の首都であって、明治維新の時、120年ほど前に皇室が京から江戸に移って、江戸から東京に名前が変わって日本の首都になったんや。その前は794年からずーっと京が日本の首都であり、天皇を含む朝廷と公家の方々が話す『京言葉』が最も上品な日本語とされとった。
それに、戦国時代でも戦国大名は京の都に上洛して天皇から『征夷大将軍』の職を貰って、幕府を開くことを目的として戦(いくさ)をしていた。織田信長、武田信玄、上杉謙信はみんな上洛して天皇から征夷大将軍の職を貰うことを目的としていた。そして、最後に徳川家康がそれを成し遂げた。戦国時代の頃は今の東京がある土地は江戸村であって、川がたくさん流れて葦が茂る湿地帯であり、『とてもこんな所に人は住めない』と言われていて少数の漁師くらいしか住んでなかった。
さらに、日本の旧国名を見ても備前、備中、備後、越前、越中、越後というふうに京に近い土地から前になっていて遠い土地は後になってる。これは当時は京が首都だったのでこういう地名に決められた。つまり、東京人は僕のしゃべる京都弁を『方言』と呼んでいるが、歴史的にみると京都弁こそが標準語であり、お前らのしゃべってる東京弁こそが方言なんや!実際、江戸時代の書物には京と大坂の人たちは、『江戸弁は京と大坂の言葉に比べると極めて下品』というふうに書いてあるんやで!そやから、僕のような京都の人間は方言である東京弁の標準語は絶対にしゃべらへんのや」
この上岡龍太郎の話を聞いて「笑っていいとも」の司会のタモリも会場の客も納得して拍手をした。小学生の時に西宮に住んだ僕も、関西人は関西弁に誇りを持ってることがよくわかった。
この上岡龍太郎の話が終わると、会場からは「アーッ、確かにそうだ!」という歓声があがり、話が終わった後には拍手が起こった。タモリも「僕も生まれと育ちは福岡ですが、言われてみればそうですね」と言って感心して納得していた。僕もテレビの前で上岡さんの話を聞いて、当時は既に22歳だったが、初めて京都弁、さらに関西弁が歴史的にみると『標準語』であり、標準語と決められている東京言葉が方言になるということに気づいたのだった。さらに、西宮に住んでいた時に誰も標準語はしゃべらずに、関西弁に対するこだわりがあったことが納得できたのだった。
今の日本の標準語は明治維新の時に初めて統一された中央主権の日本政府が出来た時に、新政府の役人たちが東京の山の手言葉を標準語と決めたのである。しかし、かつて天皇陛下が住んでいて都があった奈良、京都などの関西地方の人たちは納得できなかった。
日本の標準語がいかに明治時代初期に決められたかについては、ウィキペディアに説明がある。下のウィキペディアの説明の日本語の箇所を読んでもらいたい。
日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基に標準語を整備しようという試みが推進された[7][8](そのうち最も代表的で革新的だったのは小学校における国語教科書である)。これに文壇の言文一致運動が大きな影響を与えて、「標準語」と呼ばれる言語の基礎が築かれた。なお、「標準語」という用語は岡倉由三郎によるStandard Languageの日本語訳である。官公庁の公式文書などには、普通文が主に用いられる。
つまり、明治維新が起こって日本という近代的で中央集権の国家が初めて誕生した時に、国語の教科書を作る、政府の公式な文書を作ることが必要となり、初めて日本人全員が理解できる標準語が絶対に必要となり、薩摩、長州、土佐などの元官軍の人間が中心となって成立した明治新政府は「天皇陛下は今は東京に住んでるから、東京の言葉を標準語にしよう。ただし、東京の下町の庶民が話す『べらんめえ、こちとら江戸っ子だぜ!』のような江戸弁は標準語には向かないので、なるべく訛りの少ない東京の山手地区の言葉を標準語と決める」という結論に至ったというのである。
しかしながら、当然、上岡龍太郎が言うように、8世紀からずっと天皇陛下が住んでいた京都を始めとして、平城京、難波宮などが古代にあった関西の人たちは納得できずに、「薩摩(鹿児島)、長州(山口)、土佐(高知)の新政府の連中が日本の歴史を無視して、勝手に新しい都である東京の言葉を標準語にして、関西弁を方言にしてしまった。日本の歴史をよくよく考えれば、関西の言葉こそが標準語になるはずや!」などと言って怒ったというのである。だから、関西生まれの芸能人、スポーツ選手などは東京に出てきてから何年経っても東京の標準語をしゃべらずに、関西弁をしゃべっている。それで、関西人なのに標準語をしゃべる人を「変な人」などと思っている。やはり、関西人には「古代から明治維新までは日本の中心は関西だった。本当は関西弁こそが標準語や」というこだわりがあるのだろう。