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ドイツ人とスキージャンプの話で盛り上がった

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小林陵侑が金メダルを取ったが、僕は2020年11月にこのブログで小林陵侑の活躍について書いたことがある。2018~2019年シーズンにW杯総合王者になった小林は、その頃からヨーロッパではすごく人気があった。

 

 

昨日、日本の小林陵侑選手が1998年の長野オリンピックの船木選手以来、28年ぶりにジャンプ個人の金メダルを獲得した。本当におめでとう!それに、「日の丸飛行隊」の復活は本当に嬉しい!僕は小林陵侑の大活躍については、数年前からスカパーの有料放送で見てよく知っており、「恐らく北京オリンピックで初めに金メダルを取る選手は、女子スキージャンプの高梨か男子の小林だ」と思っていた。

 

既に小林陵侑のスキージャンプでの大活躍については、過去のブログ記事に書いたことがある。

 

deutschland-lab.hatenablog.com

 

また、過去に1999年3月から約3か月間シュツットガルト近郊に住むH家にホームステイしてドイツ語を勉強した時も、H家の家族と一緒にスキージャンプをテレビ観戦して、大いに盛り上がったということをブログに書いたことがある。今までに多くのドイツ人と会話をして、サッカーとスキージャンプなどのスポーツの話で大いに盛り上がったことはあるが、ベートーベンなどのクラシック音楽、ゲーテの文学作品で盛り上がったことは一度もない。これは、今の日本人が日本の伝統芸能、黒澤明の映画などにあまり興味がないのとよく似ているだろう。実際、ドイツの音楽大学に留学している日本人も、ドイツ人があまりクラシック音楽の話をしないことを知って、すごくびっくりしている。

 

 

日本のジャンプ選手、「日の丸飛行隊」は1992年のアルベールビル冬季五輪から団体での金メダルを目指していて、リレハンメル五輪での失敗などを経て、やっと長野五輪で金メダルを取った。

 

 

小林陵侑が今回の北京冬季五輪のノーマルヒルで金メダルを取り、船木和喜が1998年の長野五輪のラージヒルで金メダルを取って、長野では団体でも金メダルを取ったが、実はいうと日の丸飛行隊は1992年のアルベールビル冬季五輪の時から、ジャンプでメダルを獲得するだけの力はあった。しかし、アルベールビルではエースの原田と葛西の不調で団体で4位に終わり、2年後のリレンハンメル大会では4人目(最終)ジャンパーの原田が105メートル飛べば金メダルだったのに98メートルで落ちてしまって、団体で銀メダルに終わった。リレンハンメルで失敗ジャンプをした原田が長野五輪で名誉挽回の大ジャンプをして、長野五輪では団体で涙の金メダルを獲得したことは中年の日本人なら覚えているだろう。上の写真は、長野五輪で団体で金メダルを取った日の丸飛行隊。

 

リレハンメル五輪では最後のジャンパーの原田が失敗ジャンプに終わったが、原田が飛ぶ前にドイツのヴァイスフロクが「金メダルおめでとう」と言って祝福した。ヴァイスフロクの一言は心理作戦だったのではという意見があるが、2人ともそれは否定している。

 

それで、リレンハンメル冬季五輪の後に僕も新聞のスポーツ欄を読んでいて、目を引いた記事があった。それは、リレンハンメルのジャンプ団体競技の時に、3人が飛んだ時点ですでに日本が大きくリードしていて、金メダルが日本、銀メダルがドイツ、銅メダルがノルウェーというのはほぼ確実となりつつあったという時のことである。

 

最後の4人目のジャンパーは順位の順番に飛ぶので、ジャンプ台には3位のノルウェーのブレーデセン、2位のドイツのヴァイスフロク、1位の日本の原田が残った。その時にドイツのヴァイスフロクは仮に自分が130メートル以上飛んでも、原田が105メートル飛べば日本の1位は決まるので英語で原田に、「おめでとう、日本の金メダルは決まったね」と言って握手をしたというのである。それをノルウェーのブレーデセンは見ていて、「あのヴァイスフロクの一言は、日本人の原田にプレッシャーをかける心理作戦だったのではないか?それで原田は98メートルで落ちる失敗ジャンプに終わって、ドイツの金メダル、日本の銀メダルになったのではないか?ジャンプする前はみんな緊張しているから、何もしゃべらないのが常識だと思う」とインタビューで語ったというのである。

 

このブレーデセンの話を聞いてヴァイスフロクはすぐに、「そんな心理作戦ではない。私は本当に日本に勝てないと思ったから、『金メダルおめでとう』と原田に言ったのです。でも、確かに結果を見るとブレーデセンが言うように心理作戦と誤解されても仕方がない。私は原田に何も言うべきではなかった。原田には申し訳ないことをした」と述べた。一方の原田は心理作戦の疑問に対して、「違います。ヴァイスフロクの一言は私の失敗ジャンプとは何の関係もありません。私のメンタルが弱かったから途中で落ちてしまった。自分が弱かっただけです」と言って心理作戦を否定した。

 

この五輪から数年後に、旧東ドイツ時代から世界のジャンプ界のトップを走ってきたヴァイスフロクは引退をしたが、ヴァイスフロクは常に原田のことを心配していた。「私かけた一言で原田がスランプに陥り、引退などということになったら、私は飛んでもないことをしたことになってしまう」と言って原田のことをとても心配していた。だから、原田が長野で団体で金メダルを取った時は、ヴァイスフロクはとても喜んだだろう。一方で彼の国であるドイツは銀メダルだったけど。

 

この話をシュツットガルト近郊に住むH家にホームステイをしていた時に主人と奥さんに話したら、2人は「違う!ヴァイスフロクは、絶対にそんな卑怯な心理作戦をする人ではない。彼は東ドイツ代表のスキージャンプ選手だった時から、フェアプレイ精神に溢れる人だ」と言って、当然ながらヴァイスフロクを擁護した。「僕もヴァイスフロクはそんな汚い心理作戦を仕掛ける人だとは思いません。僕も東ドイツ代表時代から彼のジャンプを見て、『すごい選手だ』と思ってました。多くの日本人選手はヴァイスフロクを手本としてますから」と僕が言うと、2人とも喜んでいた。

 

 

ヨーロッパではベートーベン、モーツァルト、ショパンの話よりも、スキージャンプかサッカーの話の方が現地ではよくうける。

 

 

今日はこのように、過去にドイツ人とスキージャンプの話をして盛り上がった体験談を書いてみました。今でもドイツ、オーストリア、ポーランドなどのスキージャンプが盛んな国では、日本人のスキージャンプ選手の活躍を喜んで見ている人たちがいます。ベートーベン、モーツァルト、ショパンの話をするよりも、スキージャンプとサッカーの話の方がこういう国ではうけるようです。