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ドイツがロシア寄り外交をやめたのは歴史的な大事件

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まだ、ウクライナで戦争が続いてるので、今日もウクライナ戦争に関するブログ記事を書くことにします。相変わらずに重苦しいテーマですが、今は日本と世界はこの戦争に注目してるので仕方がないですね。(苦笑)

 

 

ドイツはナチスドイツ時代に旧ソ連に侵略してメチャクチャに破壊したという理由で、EUの中でもロシア寄りの外交政策をしてきた。これは、今でも日本国内には戦争の償いとして親中国派の政治家がいるのと同じこと。

 

 

ドイツはEUの一員ではあるが、EUの中でもかなりロシア寄りの外交政策を行い、一方でウクライナに対してはちょっと冷たい外交だった。主な理由としてはやはり、第二次大戦の時にソ連を侵略してメチャクチャに破壊したことである。日本にとっては中国にあたる戦争犯罪の土地がドイツにとってはソ連、その中でも特にロシアなのである。第二次大戦中の1941年6月22日に、ナチスドイツ軍は日ソ不可侵条約を破って「バルバロッサ作戦」を発動させて、急にソ連を侵略した。そしてその後、1944年6月にソ連軍が仕返しとばかりに「バクラチオン作戦」を発動させて旧ソ連の土地からドイツ軍を追い出すまで、約3年間に渡ってソ連人の土地を破壊し尽して民間人の虐殺も行った。

 

これに対する償いということで、2月24日にウクライナを侵略するまではドイツはロシアびいきの外交を行ってきた。これは日本政府の中にもまだ親中派の政治家と知識人が多いのと全く同じことである。日本には1931年9月の満州事変勃発以降、1945年8月15日の敗戦まで中国を虐待したということで、それの償いとして中国びいきの人がかなり多い。自民党国会議員の二階、石破などはその代表的な存在だろう。ドイツの場合は特に去年まで16年間首相を務めていたメルケルはかなりの親ロシア派で、親ロシアの外交を行っていた。

 

 

一方でドイツはウクライナに対しては冷たかった。理由はナチスドイツ時代にウクライナ人の中には進んでナチスドイツに協力する者がけっこういて、武装親衛隊ウクライナ人部隊もあった。今、ウクライナ東部で活動してる「アゾフ大隊」はこの流れを汲んでいる。

 

 

 

一方で、戦後ドイツの外交はけっこうウクライナに対しては冷たかった。理由は僕が既に3月4日のブログ記事で書いた「ウクライナナチス化とは何のことか?」にも書いたが、ナチスドイツ時代にドイツはウクライナ、特にウクライナ西部地域にはかなりドイツ人が入植しており、ナチスドイツびいきのウクライナ人がけっこう多かったからである。1941年6月にナチスドイツ軍がソ連に攻め込んで以後、ウクライナ、ロシアに移住するドイツ人もかなりいて、僕のメル友だったドイツ人女性Vのおばあさんはウクライナ西部ガリツィア生まれだと彼女は教えてくれた。「君のおばあさんはウクライナ人だったのか?」と僕が質問すると、彼女は「第二次大戦中はドイツ人居住区がウクライナとロシアにもあったの。あなたのお母さんも中国と戦争をしていた時に中国の天津で生まれたけど、日本人居住地区が天津にあったからと言ってたでしょ。それと全く同じこと」と教えてくれた。

 

つまり、例えるならドイツとウクライナの関係は日本と中国東北部満州国と似たようなものであり、1931年に満州国が日本、特に関東軍の力で成立すると、蒋介石中華民国政府に嫌気が差していた満州人の中には進んで満州国に協力する者もいて、大連、新京(今の長春)には日本の高校、大学も建設されて中国人の中にはこれらの学校で学ぶ満州人もかなりいた。インフラなども日本が建設して日本人技師が中国人を指導したりしたので、満州国民の中には第二次大戦が起こると日本に協力する者もいた。もちろん、満州人の中には日本による支配を嫌う者もかなりいて、馬賊になって日本軍と戦う満州人も多かったのはよく知ってると思う。

 

ナチスドイツもウクライナ、特にウクライナ西部のガリツィアに対してはドイツ人居住区を作ったりして寛容な政策を行ったので、1944年初頭にはウクライナ人の義勇兵によって第14SS武装擲弾兵師団「ガリーツィエン」(ウクライナ第1)が編成された。写真上はナチスドイツ親衛隊長官ハインリッヒ・ヒムラーの閲兵を受ける「ガルリーツィエン」師団の兵士たち。それ以前にナチスドイツ軍がバルバロッサ作戦を発動してウクライナに侵攻してくると、ウクライナ人の中にはドイツ軍のことを「スターリンソ連共産党政府からの解放者」として歓迎をして、進んでユダヤ人虐待に手を貸す者もいたので、ドイツ軍が負けそうなるとウクライナ人の中にはドイツ軍に協力する者がいたのも当然らしい。

 

 

2011年11月にはロシアとドイツを直接結ぶ天然ガスパイプラインが稼働を始めて、ウクライナと東欧諸国とEUはドイツとロシアの利益にしかならないので反対したが、ドイツのメルケル政権は親ロシア政策を変えなかった。だが、ウクライナ戦争の勃発でドイツは親ロシア政策を放棄することになった。

 

 

だから、1991年に旧ソ連が崩壊してロシア、ベラルーシウクライナという国々が誕生すると、ドイツはロシアとベラルーシに対しては第二次大戦の時の戦争犯罪の償いとして大金を投資したり融資したりしたが、ウクライナに対しては「ウクライナ人の中には進んでナチスドイツに協力する者もかなりいた」ということで、けっこう冷たい外交政策を行った。その具体的な一つの例が「ノルドストリーム」というロシアとドイツを直接に結ぶ天然ガスのパイプラインである。下がウィキペディアの説明。

 

ja.wikipedia.org

 

従来のロシアとドイツを結ぶ天然ガスパイプラインはウクライナと東欧諸国を通っていたので、ウクライナ、東欧諸国にも利益があったが、ノルドストリームはロシアからバルト海の海底を通ってドイツとを直接に結ぶので、ウクライナと東欧諸国には全く利益がない。だから、ウクライナ、東欧政府とEUはこのプロジェクトに反対していたが、当時のドイツ首相のメルケルは「既にロシアのプーチン大統領を始めとするロシア政府と、このプロジェクトの主体となるロシア企業ガスプロムの重役と話し合って決めたことなので、他の国が反対しても変えることはない」と主張してきた。だが今回のウクライナ戦争の勃発で、今のドイツのショルツ首相は稼働中のノルドストリームと建設中のノルドストリーム2を放棄せざるを得ないようだ。ここにもドイツがソ連邦崩壊以後は親ロシアだった政策を反ロシアに180度転換した影響が見られる。

 

 

このように見てくるとEUのロシアに対する態度といっても、各国によってかなり違うようであり、ドイツは第二次大戦の反省からかなり親ロシアだったけど、フィンランドポーランドなどはかつて旧ソ連にかなりひどい目にあっていたので、ソ連が崩壊した後もロシアをかなり警戒していた。そして、ポーランドフィンランドの心配は今のウクライナ戦争で現実のものとなった。