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ウクライナ軍の攻勢が始まるが、どのような攻撃になるのか?

 

 

今、報道されているウクライナ軍によるロシア軍への攻勢というのは、第二次大戦中にナチスドイツ軍とソ連軍との間で戦われたクルスク大戦車戦のようになるだろう。平原で戦車と戦車の戦いが中心となり、それに新兵器のドローン爆弾も重要になる。

 

 

今のウクライナ戦争の報道ではウクライナ軍が近々大攻勢に出て、ロシア軍に奪われた地域を奪回するだろうという記事がよく出ているが、果たしてウクライナ軍の反撃攻勢はどのようなものになるのだろうか?

 

上の写真は第二次大戦中の1943年7月5日から始められた、ナチスドイツ軍によるソ連軍に対する大攻勢である「クルスクの戦い」を撮影したものだが、ドイツ軍の武装親衛隊の機甲部隊がソ連軍に対して攻勢を行っている。この時は両軍合わせて約1万台の戦車がクルスクで激突した。クルスクはウクライナ第2の都市であるハルキウの北方にあるのだが、ハルキウソ連が崩壊した時にウクライナ領になったがクルスクはロシア領である。だから多くの軍事評論家は、「ウクライナ軍がNATOから贈られた最新式戦車を中心に戦うのなら、第二次大戦中のクルスクの戦車戦のようになるだろう」とよく述べている。

このウクライナとロシアの国境地域は完全な平野であり、標高100メートル以上の丘ですらあまりないような地平線が見える平らな地域である。だから、第二次大戦中のクルスク戦車戦の時はソ連軍は「パックフロント」という対戦車陣地を各地に築いて、ドイツ軍の約3千台の大戦車部隊を待ち受けていた。パックフロントは対戦車砲、対戦車銃、対戦車壕、地雷を複雑に組み合わせた陣地であり、この陣地のせいでドイツ軍は手Ⅰ型、パンター戦車といった、ソ連軍の主力戦車でありT34‐76型よりも強力な戦車を多数投入したにもかかわらず、1日に1キロも進めなかった。

 

さらに、ソ連軍の戦車の総数の方がドイツ軍の約3倍だったので、ソ連軍は戦車が何台撃破されてもドイツ軍戦車に向かって突撃していって、最後にはドイツ軍を撃退することに成功した。クルスクの戦いではドイツ軍の戦傷者は約50万人だが、ソ連軍はその倍以上の損害を出しながらも遂にはソ連軍が勝利をした。ソ連軍が勝利をしたというよりも、1943年7月10日に米英連合軍がシチリアに上陸したことによって、ドイツ軍は戦力を地中海方面に割かざるを得なくなり、ドイツ軍の攻撃は段々と尻つぼみになっていった。ドイツ軍とソ連軍の戦いは続いたが物量に勝るソ連軍が次第にドイツ軍を圧倒するようになり、8月23日にはソ連軍はハリコフを奪回してドイツ軍はクルスクを占領するどころか大きく後退してしまった。

 

第二次大戦のクルスクの戦いでは米英から大量の物資支援を受けたソ連軍が、最後にはティガーⅠ、パンターなどの強力な戦車を持つドイツ軍を撃退した。基本的に米英という2つの大国と戦争をして勝った国は20世紀以降いないので、ウクライナ軍の方が有利である。

 

さて、これを今のウクライナ軍対ロシア軍に照らし合わせると、攻勢をかけるウクライナ軍の方がナチスドイツ軍のようにも見えるが、ロシア軍側は国内でも反戦デモ、反政府デモが起こっているという状態であり、一方でウクライナの方はゼレンスキー大統領の下、国民が一丸となってウクライナ領からロシア軍を追い出すまで戦う覚悟ができている。さらに、国際世論もウクライナの味方なので、政治的外交的状況はウクライナの方が当時のソ連に似ていて、ロシアの方が国際的に孤立しているのでナチスドイツみたいである。

 

だから、ウクライナ軍の攻勢が恐らく成功をしてロシア軍はウクライナ領から駆逐されるだろうが、ただし、ロシアのプーチン大統領は第二次大戦のクルスクの戦いの時にはなかった核爆弾というとんでもない兵器を持っているので、ウクライナ軍の反抗は最後にはどうなるかは全くわからない。プーチンウクライナ戦争の最終局面で核爆弾などを使えば、本当にとんでもないことになるだろう。