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追悼 ゴルバチョフ元大統領

 

 

 

 

ミハイル・ゴルバチョフソ連大統領はアメリカとの冷戦の限界を実感して、ペレストロイカ(改革)を実行して東ヨーロッパとアフガニスタンからソ連軍を撤退させて、東西冷戦を終結させたリベラルな政治家だった。

 

 

ミハイル・ゴルバチョフ大統領が8月30日に亡くなった。葬式は9月3日に行われた。ゴルバチョフといえば、1980年代後半にペレストロイカ(改革)とグラズノチ(情報公開)を行って東ヨーロッパの民主化に貢献して、さらに共産主義独裁国家だったソ連邦を崩壊させて、ロシア連邦ウクライナ共和国を始めとする多くの新しい国を誕生させたロシアの偉大な政治家というイメージがある。しかし、これだけ立派なことを成し遂げて、ノーベル平和賞まで受賞したのにロシアでは国葬は行われなかった。

 

僕はゴルバチョフがどんどんとペレストロイカを行って東ヨーロッパが民主化されて、ベルリンの壁が崩壊した頃はまだ20代前半だったので、ゴルバチョフがなぜ急に強力なソ連軍を次々と東ヨーロッパから撤退させて、アメリカとの東西冷戦を終結させたのか、その理由と原因はよくわからなかった。当時のマスコミは「ソ連は軍事費が国家予算の半分くらいになって財政を圧迫しているので、巨大な軍隊を維持してアメリカとの軍拡を行うことを断念せざるを得ないのだろう」と報道していた。やはり、東ヨーロッパとアフガニスタンからソ連軍を撤退させたのはこれが原因だろう。

 

 

しかし、ゴルバチョフソ連邦は維持するつもりだったようでバルト3国などの独立は認めなかったが、1991年8月の保守派クーデターが失敗するとソ連共産党は力を失って、エリツィンの率いる民主派を国民は支持してソ連は1991年末に崩壊した。

 

 

しかし、一方でゴルバチョフアメリカとの冷戦は終結させてもソ連邦は維持するつもりだったようで、バルト3国のエストニアリトアニアラトビアソ連から独立しようとすると容赦なく弾圧を加えた。しかし、ゴルバチョフが始めた改革は彼が予想してなかった方向へのソ連国内での民主化へと進んだ。1991年8月に「ソ連8月クーデター」が起こったが、このクーデターは失敗して共産党の保守派は力を失って民衆の支持も失ってソ連共産党の弱体化が進んだ。この後、ボリス・エリツィンロシア共和国大統領らがさらなる民主化を進めて、1991年12月にソ連邦は崩壊してロシア、ウクライナカザフスタンなどの共和国に分裂することが決まった。

 

でも、ソ連崩壊とソ連民主化ゴルバチョフソ連邦大統領が望んでいたことではないようで、ソ連崩壊と共にゴルバチョフは政界から引退して隠居生活に入ることを余儀なくされた。その後はエリツィンロシア連邦初代大統領となって政治を行った。だが、この辺のソ連崩壊の経緯はまだ色んな情報が入り乱れているので、よくわからないことが多くて、どのようにソ連邦崩壊となったのか確かなことはまだよくわからない。

 

 

ソ連崩壊後はゴルバチョフは政界から引退してエリツィンが大統領になって、ロシアに自由主義経済を導入した。しかし、エリツィンプーチン大統領でロシアの自由主義経済は上手く行かなかった。これは、東ドイツが西ドイツに吸収合併された後に経済が安定しなかったのと同じ状況。

 

 

しかし、西側資本主義国のような自由経済となった後のロシアはやはり経済が上手く行かなくなり、国民は共産主義時代と同じような苦しい生活が続いた。確かに、西側企業の投資と進出と経済援助によってある程度は生活はマシになったようだが、ロシア国民が望んだように国民の生活が急に豊かになったわけではなかった。このことについては、1990年10月に東西ドイツが急に統一されて西ドイツが東ドイツを吸収合併したことによって、旧東ドイツ側では経済混乱が20年近くも続いたことと全く同じである。このことについては、僕は過去にブログ記事に書いたことがある。

 

deutschland-lab.hatenablog.com

 

そして、1999年にエリツィンプーチンに大統領の座を譲って、その後はプーチン政権が20年以上も続いたが、今ではプーチン旧ソ連領だったウクライナに侵略をしてウクライナを再びロシアの一部に戻そうとしている。ロシア国民の特にソ連崩壊後に生まれた若い世代はウクライナ戦争を支持しておらず、日本を始めとする外国に住むロシア人たちは、「もうプーチンの恐怖政治のロシアには戻りたくない。日本に帰化して永住する」と言って戦争に反対してる人が多い。

 

 

プーチンは初めは民主派大統領として振る舞っていたが、2014年にクリミアを併合して段々と強硬派になった。その後も経済政策が上手く行かないので遂に今年の2月にウクライナ戦争を始めた。プーチンはロシアをゴルバチョフペレストロイカ以前に戻そうとしている。

 

 

プーチンがロシアをゴルバチョフペレストロイカ以前の旧ソ連に無理に戻そうとしている原因は、やはり経済政策の失敗だろう。1991年にソ連邦が崩壊して以後、エリツィンプーチンは何とか西側資本主義国からの援助を受けつつロシア国民の生活を豊かにしようとしたが、あまり上手く行かなかったようだ。ロシア国民の2019年の平均年収は120万円くらいであり、豊かな首都のモスクワでも220万円くらいである。モスクワでも日本人の平均年収の半分くらいということになる。これが、シベリアの小都市などではもっと少ないということになるだろう。それに、ロシア人男性の自殺率もかなり高い。ロシアの経済政策が上手く行ってないということは、東西ドイツが統一された後に、旧東ドイツ地域では20年間ほど西ドイツとの経済格差に苦しんだのとよく似ている。

 

このように長年の間、経済政策が上手く行かなくなると国の指導者は最後には戦争を行って国民の意識を経済からそらす傾向にある。クラウゼヴィッツの「戦争論」にも、「戦争とは他の手段をもってする国家政治の継続である」と書かれている。つまり、国の政治と経済が上手く行かなくなると、政治家は戦争を起こして国民を団結させることが多いのである。今、プーチンウクライナ戦争をしていてロシアをゴルバチョフペレストロイカ以前の強い国に戻そうとしているのは、正にそういう理由があるようだ。

 

いずれにせよゴルバチョフが1980年代に始めたペレストロイカは、今のプーチンによるウクライナ戦争によってほとんどが台無しになりつつある。ロシアが早くウクライナ戦争を止めて、ゴルバチョフが始めたペレストロイカ路線に戻ることを望むだけである。