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ロシアは経済状態が悪いのでプーチンのような強いリーダーを求める

 

 

 

 

NHKのドキュメント番組「映像の世紀」で、プーチンの家族と生い立ちとKGB所属の諜報員になり、いかにスターリンに憧れるようになったかを特集してやっていた。

 

 

最近はテレビの地上波ニュースではあまりウクライナ戦争について取り上げていないが、しかしながらウクライナではまだロシア軍がウクライナ人を殺害しているという戦闘状態は続いている。いくら日本ではあまりニュースで取り上げられなくなったといっても、ウクライナで泥沼の戦争状態が続いてることに変わりはない。

 

この前、NHKの「映像の世紀」というドキュメント番組で、「スターリンプーチン」という特集をやっていた。「プーチンスターリンに憧れている」という内容の極めて興味深い内容だった。こちらがその放送のリンク。

 

www.nhk.jp

プーチンスターリン

 

初回放送日: 2022年5月23日

ソ連超大国へ導いたスターリン、その崩壊を目の当たりにし、大国ロシアの復活を誓ったプーチン、発掘映像によって、ふたりの権力者の実像に迫る。独裁によって2千万の命を奪ったスターリンンの狂気、最大の犠牲となったウクライナの人々の悲劇とは? スターリンの死去の半年前に生まれたプーチン。スパイから大統領にまで押し上げたのは、国家崩壊の絶望の中で誓った大国ロシア復活への執念とKGB仕込みの権謀術数だった。

このドキュメントではプーチンの家族、彼の生い立ちからを取り上げている。プーチンの両親はドイツ軍に3年近く包囲されたレニングラード(今のサンクト・ペテルブルグ)の戦いを生き抜き、1952年にプーチンが生まれた。プーチンは若い頃からスパイになってソ連諜報機関であるKGBに入ることを夢見た。そのため、レニングラード大学で法学を学び、その後にKGB職員になった後もKGB赤旗大学で学んでいる。1985年からは東ドイツドレスデンで勤務して、そこで、スターリンの率いるソ連軍がナチスドイツ軍を打ち負かした栄光の記念品などを目にした。1990年にゴルバチョフペレストロイカソ連が崩壊し始めると政治家を志してKGBを辞めてレニングラード市役所で勤務を始める。その後、1996年8月からロシア政府で勤務するようになって、大統領だったエリツィンの信用を得るようになる。

 


プーチンエリツィン大統領政権の首相となった後に「ロシア高層アパート連続爆破事件」が起こり、プーチンチェチェン独立武装派の仕業と断定してチェチェン紛争を武力解決した。しかし、この事件はプーチンFSBに依頼して行った自作自演の可能性が高い。

 


プーチンを一躍有名にしたのは、1999年9月に起こった「ロシア高層アパート連続爆破事件」の事後処理だった。この頃、まだエリツィン大統領を支える地味な首相だったプーチンはこの事件を「チェチェン独立武装派の仕業」と断定して、第二次チェチェン紛争チェチェンの反ロシア勢力を徹底的に弾圧してチェチェン紛争に一応勝利をして、ロシア国民から映雄扱いされた。しかし、「ロシア高層アパート連続爆破事件」はプーチンの指導の下、KGBを受け継いだFSBロシア連邦保安庁)が仕組んだ自作自演の可能性が高いとウィキペディアには書いてある。
ja.wikipedia.org
しかし、その実態は、当時自身の膨大な汚職を隠蔽してくれる後任を探していたボリス・エリツィン大統領と、KGB出身で既にサンクトペテルブルク市政で悪質な汚職を重ね、市長の重大な汚職逃れにも手を貸していたプーチンの権力の座を狙う目論みが一致し、無名であった彼を国民的英雄に仕立て上げ、選挙で勝たせるために、またエリツィンの膨大な汚職を、戦争の非常事態によってうやむやにしたまま大統領職を引き継ぐために、FSBによって仕組まれた自作自演である可能性が、関係者等の証言から高いものとなっている。この事件の真相を調べていた記者や政治家が何人も不審死している[1]

 


プーチンは尊敬するスターリンヒトラーと同じ様に権謀術数を用いて政敵を排除してロシアのリーダーとなった。そして、資本主義経済が上手く行ってないロシアの現状では国内に強いリーダーを求める声が強い。

 


つまり、プーチンは自分の国民の命までを犠牲にして謀略の限りを尽くして大統領の座にのし上がったのである。この経緯はあらゆる方法で政敵を排除して国のトップに上り詰めたスターリンヒトラーと全く同じやり方である。また、自作自演の事件をきっかけに出世して国民の人気者になったやり方は、1931年9月の柳条湖事件の後に満州事変を起こして英雄となった関東軍参謀の石原莞爾中佐と同じである。しかし、まだ海外から限られた情報しか入ってこなかった1930年代ではなくて、既にインターネットもあった20世紀末にこんな謀略が行われたのは信じられないとしか言えない。
そして一番上の写真に戻るが、ロシアはソ連が崩壊してから約30年間自由経済、資本主義の導入を行ってきたが、30年経ってもロシア人の平均所得は月給で9万円程度であり、しかもこれは経済状態の良いモスクワ、サンクトペテルブルクのような大都会の場合で、シベリアの地方都市ではこの5分の1くらいの月給しか貰えてないらしい。30年間資本主義経済を導入してみたが上手く行かないので、またスターリンのような強い指導者を望むロシア国民がかなり増えてるようである。だから、プーチンウクライナを攻撃した時も、モスクワなどの大都市では反戦運動もかなりあったが、ロシア人の多くはプーチン大統領を支持して大統領の支持率は80%以上に跳ね上がったのである。
有名なカール・フォン・クラウゼヴィッツも「戦争論」の中で「戦争とは国家経済の形を変えた延長である」と書いているが、ヒトラーも国内での経済政策に対する国民の不満を抑えるために第二次世界大戦戦争を起こした。スターリンヒトラーが起こした戦争に便乗するような形でポーランドフィンランドを攻撃して、その後、ヒトラーのドイツ軍と東部戦線での戦いに勝利をして、死ぬまでソ連の英雄として称えられた。プーチンも絶対にスターリンと同じやり方をやっており、経済政策が上手く行かないのでウクライナ侵攻を始めて国民の不満をそらしているのである。