Deutschland-Lab

Deutschland-Lab

歴史や文化、スポーツなどドイツに関する情報まとめサイト

踏切がほとんどなくて鉄道と道路は立体交差が多いドイツ

 

 

 

題名のとおり、ドイツの都心部では鉄道線路はほぼ全部が高架線になっているので、鉄道と道路は立体交差になっており、日本の都会のような「開かずの踏切」問題はない。

 

 

今日はドイツには鉄道の踏切がほとんどなくて、鉄道と道路はほとんどが立体交差をしているということについて書こうと思う。これはドイツだけではなくて、僕の知る限りではドイツ、ポーランドオーストリア、オランダにも当てはまることである。

 

写真上はベルリン中心部のベルリン中央駅の近くのハッケンシャー通り駅付近の画像だが、ドイツ鉄道(DB)の線路は3階くらいの高さの高架線を通っているので、ベルリン中心部では日本の大都会でよくあるような1時間のうち30分しか人と車が通れるような「開かずの踏切」があって、車の大渋滞が起きて人もなかなか踏切が渡れないということはない。日本の場合は東京なら東京都中心部のJRと私鉄各線は高架線か地下鉄と相互の乗り入れをしているので、開かずの踏切は少ない。それでも京浜急行の八ツ山踏切、大阪の阪急十三駅前の踏切などは開かずの踏切として悪名高い。都心ではないが、元首相の安倍氏が狙撃されて死亡した近鉄大和西大寺駅西側の踏切も開かずの踏切である。

 

この日本の開かずの踏切は特に首都圏、関西などで大きな社会問題となっていて、JRも私鉄各社も解決に乗り出しているが、鉄道の線路を高架線に作り直すには、1年ちょっとくらい工事をしなければならず、またその間は工事区間を電車は徐行運転するとか、車と人も回り道を強いられるので、工事期間は付近の交通がなかり混乱する。ドイツ、その他のヨーロッパ諸国では初めに鉄道が敷設された時からほとんどの線路を高架線で作ったので、特に都会部分には開かずの踏切はほとんどない。地方、田舎などに行ってやっと線路が地面を通っていて踏切があるのである。

 

 

 

 

写真上は最近までJR西日本新大阪駅の隣駅である東淀川駅付近にあった開かずの踏切。最近、線路が廃止になったが、ラッシュアワーには1時間のうち3分間しか踏切が開いていたことがないという。開かずの踏切なら僕が小学校6年生に住んでいた阪急電鉄西宮北口駅付近にもあって、ラッシュアワーの時は1時間に30分以下しか開いてなかった。一度、西宮北口駅で事故があり、踏切が1時間以上開かなかったことがあったので、踏切を渡って中学校に行っていた兄と友達は、雨水が溜まった田んぼの中を下半身を泥だらけに濡らして歩いて帰ってきたことがあった。

 

 

日本は地震大国なので高架線路を作る時には震度5以上の激震に耐えられる高架線路を作らないといけないが、安定した大陸のヨーロッパでは震度5以上の激震は起こらないので安い経費で高架線路が作れるのである。

 

 

なぜ、ヨーロッパが高架線が多いのに対して、日本ではこういう地面に線路を敷いたので「開かずの踏切」問題が多く存在するようになったのかというと、ヨーロッパは地震がほとんど起こらず、震度4程度の地震は20年に1度くらいしか起こらないし震度5以上の地震は絶対に起こらないので、19世紀に線路を敷設した時から人と馬車の往来の邪魔にならないように、ほとんどの線路を高架線で敷設することができたのである。大きな地震が起こらないから高架線を作るのはあまり経費がかからない。また、ヨーロッパは洪水も多いから洪水対策も考えて3階くらいの高さの位置に高架線を敷設したのだろう。

 

 

日本では150年前に鉄道建設が始まった時から「地震が多い日本ではヨーロッパのように高架線路を作るのは無理」という意見が多く、地面に直接に線路を敷設することになった。その後、関東大震災などの地震が起こる度に「地震に耐えられる高架線路を作ろう」という意見があったが、予算の問題などからずっと先送りされてきた。

 

 

一方の日本は地震が多い国なので、19世紀末に鉄道の建設が始まった時から高架線は作りたかったが、地震に耐えられる耐久性のある高架線の経費を考えると地面に直接に線路を敷設するしかなかった。大正時代に東京周辺で「関東大震災」が起こった後には「また東京付近で大地震が起こることを考えて、ヨーロッパのように高架線を作って長期計画の街づくりをしよう」という意見も多かった。だが、「関東大震災のような震度6以上の地震に耐えられる高架線の建設となると、すごい経費がかかるし時間もかかる。国民は一刻も早い震災からの復興を望んでいる」という意見がすごく多くて、こちらが優先されてしまい、長期間をかけて東京市内(当時)に多くの高架線路を敷設するという計画は実行されなかった。

 

次の東京再開発のチャンスは第二次大戦でアメリカ軍による大空襲があって東京大阪などの大都市が焼け野原になった時だった。この時もまた「多くの都市が破壊されたから、長時間をかけて高架線路を全国各地に敷設して開かずの踏切がない都市計画をやろう」という意見があったが、当時は敗戦直後で全く予算がなかったこと、さらに「国民は一刻も早い敗戦からの復興を望んでいる」というい意見がまた通って、鉄道線路の高架化は実行されずに先送りになった。

 

つまり簡単にいうと、ヨーロッパは震度5以上の激震が絶対に起こらないので安い経費で高価線路を敷設できるが、「地震大国」の日本は高架線路を敷設したくても震度5以上の激震にも耐えられる高架線路を敷設しないといけないので、経費が高すぎるから高架線路を敷設するのが難しいという原因がある。僕が住んでいる仙台市の仙台駅も、地面に線路が敷設されているのでかなり不便である。駅の西側から東側に移動する時には必ず駅舎の2階の自由通路を通らないといけない。車での移動は仙台駅を避けて遠回りをしないといけない。仙台では仙台駅自体を高架線化する代わりに、その周辺地区の線路を高架にするか地下に潜らせるかで対処している。