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八甲田山雪中行軍遭難を防ぐ方法はなかった

映画「八甲田山」の有名な「天は我々を見放した」のシーン。

 

 

12月17日に青森に行ってきたが、映画「八甲田山」のように雪嵐はなかったが、街は1メートル以上の積雪に覆われており、「八甲田山雪中行軍資料館」を見たらそれだけで夕方になってしまった。(苦笑)青森ではこの雪が根雪になって3月まで残るという。

 

 

先週の土曜(12月17日に青森に行って、八甲田山雪中行軍遭難資料館に行ってきた。青森に行った目的はこの資料館に行くことと、もう一つは新青森駅で雪の中を爆走する新幹線を撮影することだったのだが、なんと新青森駅には1時間に上下1本ずつしか新幹線が来ない状況なので、資料館に行った後に1時間ほど新幹線を撮影しようと思ったが、新幹線はほとんど撮影できなかった。

でも、まあ今はクリスマス大寒波が来てるから、雪の中を爆走する新幹線ならいつでも撮影できるだろうと思った。(苦笑)

それで、下に僕が作ってYOUTUBEにもアップした八甲田山遭難事件の動画をアップしたが、資料館の中の展示内容は既に小学生の頃から父と一緒に八甲田山の映画を見ていて、今もDVDを持っていて10回ほど映画を見ていて、八甲田山関連のネットサイトをたくさん見た僕にとっては、展示してあった説明に別に真新しい事実はなかった。ただ、明治時代の陸軍軍人の防寒装備と今の自衛隊の防寒装備を比較しているのは、けっこう興味深かった。

 

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映画「八甲田山」の原作となった新田次郎の書いた「八甲田山死の彷徨」によると、神田大尉は田茂木野村で案内人を頼んでいたけど山田少佐がそれを追い返したことになってるが、これは嘘で軍人全員が「案内人なんか必要ない」と言って断っている。

 



八甲田山の青森第5連隊の1個中隊にあたる210名のうち199名もが凍死したことについては、色んな原因が議論されている。新田次郎の「八甲田山死の彷徨」では、中隊の指揮を執るのは神田大尉(史実では神成)のはずだったが、大隊長の山田少佐(史実では山口)が自分勝手な上官で勝手に指揮をとってしまう。また、途中の田茂木野村で神田は前もって村人に案内人を頼んでいたが、山田が勝手に「帝国陸軍軍人は雪山など怖くない。田代温泉までたった20キロの道のりだから案内人などいらぬ。帰れ!」と勝手に追い返しったことになってる。

これは全部が新田の創作であって嘘である。田茂木野村で長老たちが「案内人が必要でしょう」と申し出たのに「案内人などいらぬ」と言って追い返したのは、5連隊の軍人全員である。「帝国軍人は日清戦争でも清軍の砲弾も銃弾も怖くなかった。雪など恐るるに足らず」と言ったのは軍人全員である。行軍隊の中には当然、日清戦争の従軍して手柄をあげた者もおり、「次は大国ロシアとの戦争があるのに、20キロほどの雪中行軍は怖くない」と考えていたのである。

つまり、軍人全員が雪山を甘く見ており、当時の貧弱な防寒装備で雪嵐の八甲田山に入った時点で遭難は決まったようなものだった。「今日は悪天候だから別の機会に雪中行軍をしよう」と判断していれば助かった。でも、小峠を越えて午後2時になった頃に冷静な軍医などの一部の将校が、「急に天候が悪化して雪嵐が吹いてるから、中止するべきでは?」と中止について議論している。ところが、ここで10年以上陸軍にいる叩き上げの下士官たちが猛反対をして、「陸軍軍人が雪山を怖いなどと言うべきではない」と反論して騒いだので、雪中行軍を強行することになった。だから、無能な将校が多くの兵隊を雪嵐の中を無理に歩かせて部隊はほぼ全滅したという、新田次郎の小説本の描写も間違い。

 

 

雪中行軍隊にとって不運だったのは、行軍を始めた1月23日に当時の日本観測史上最悪という大寒波が来ており、25日には旭川で-41度を記録してる。この時に雪中行軍を行ったのが運が悪かったとしか言えない。

 

雪中行軍隊にとって不運だったのは行軍を行った1月23日に数十年に一度というレベルの大寒波が来ていたこと。1月25日には旭川で-41度という当時の日本観測史上最低気温を記録している。だから、行軍の日に大寒波が来ていたのが不幸だった。

 

 

新田次郎の本では神田大尉を優秀、山田少佐を無能というふうに描いているが、これは小説では誰かが善人で誰かが悪人でないと話が盛り上がらないからである。

 

 


新田次郎の「八甲田山死の彷徨」を原作とした映画「八甲田山」では、北大路欣也の演ずる神田大尉が比較的冷静な将校で、三国連太郎が演じる山田少佐が命令をすぐに変えて部隊を遭難させる無能な将校として描かれてるが、小説、映画というのは善人と悪人がいないと劇的なドラマにならないので、新田次郎も映画監督の森谷司郎もそのように事実を歪曲したのだろう。