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相撲人気は2010年の八百長、無気力試合発覚以来落ちている。

北の湖 - Number Web - ナンバー

これは若い人は知らないだろうが、僕が子供の頃に一番好きだった力士の北の湖関。北の湖横綱だった時代は輪島、貴乃花(先代)などのライバルがいたが、一番強かったのは北の湖だった。

 

 

2010年に相撲界を震撼させた八百長無気力相撲問題で、僕を含め多くの日本人は相撲への関心を失くした。北の湖千代の富士の時代に八百長無気力相撲が当然のように行われていたというのは、驚くべきことだった。

 

相撲人気がどんどんと落ちており、今では横綱はすぐに休場する、日本人の横綱稀勢の里がやっと2010年代後半に誕生したが、横綱になるまでに既に体がボロボロとなっており、横綱になったら稽古、巡業などですぐにケガをして休場がすごく多くて2年くらい横綱を務めたら引退してしまった。

 

なぜ、平成昭和時代の頃のように強い横綱が誕生しなくなったのかという理由に、八百長無気力相撲角界から完全追放したからなどとスポーツ系の雑誌に書いてあるのを見て、僕の相撲への情熱は完全に冷めてしまった。

 

僕が小学生から20代の頃は日本人の横綱には北の湖、輪島、千代の富士隆の里などがいて、特に戦前生まれの父は相撲を見て感動していた。父は特に6勝7敗だったカド番大関が終盤に2連勝をしてカド番から脱出する相撲などを見て、「アレが人間の精神力の強さだ。追い詰められると人間は『火事場のクソ力』を出すんだ。相撲力士の精神力はすごい。我々も見習うべきだ」などと言って、相撲力士を心から尊敬していた。

 

ところが、平成中期になってネットなどで暴露話ができるようになると、平幕だった力士が、「10年ほど前に大関で7勝7敗だった〇〇関から、千秋楽は八百長試合をしてくれと持ちかけられた」などと暴露して、それを調査してみると〇〇関は「確かに大関で負け越すのが嫌だったので、八百長試合を頼みました」などという証言が、どんどんと出てきた。それ以外にも僕が好きだった北の湖、強すぎたのであまり好きでなかったけど僕が学生時代に無敵だった千代の富士なども、八百長試合を格下の力士に頼んでいたなどと報道されたので、僕の相撲への情熱は一気に冷めた。恐らく他の日本人もそうだろう。その一方で全く八百長相撲、無気力相撲をせずに強い横綱になった貴乃花、曙、武蔵丸などは本当にすごかったと思う。曙、武蔵丸小錦などの外国人力士は各界の習慣とかしきたりをよく知らないから、八百長などには全く応じなかったのだった。

 

一方で昔から相撲が嫌いだった人たちは「大関などの上の方の番付の力士が6勝7敗から急に強くなって8勝7敗で勝ち越した時は絶対に八百長とか裏で取引をしてると疑っていた。それに、横綱が5日目を終えて2勝3敗とかになると『ケガのため休場します』ということが多いので、相撲は子供の頃から嫌いだった」などとネットに書いているのを見て、僕も何か同感する気持ちがあった。「相撲ファンは、ずーっと八百長無気力相撲をしていた日本相撲協会に騙されていた」などという、相撲を嫌う感情が最近は強くなってる。

 

それで先週の日曜日からまた大相撲の夏場所が始まっているが、今の相撲では昭和、平成の頃の北の湖千代の富士のようなすごく強い横綱が誕生しにくくなってる。最近は平幕力士などの横綱以外の力士の優勝がすごく多くなってる。この理由は当然ながら角界から八百長無気力相撲を排除したこと、さらに、各相撲力士の実力が平均化してきたので、昔の北の湖千代の富士のようにずば抜けて強い力士が出にくくなっているのだろう。プロ野球などにしても、昭和50年頃までは20勝10敗というすごい成績の投手がかなりいたが、平成、令和と時代が進むと、「平成の怪物」と言われた松坂大輔でも20勝は達成できなかったし、200勝も達成できなかった。一方で2013年に24勝0敗だった田中将大大谷翔平、佐々木朗希などは本当にすごいと思う。

 

 

僕を含め角界を改革するべきと思っている人たちは、「横綱大関関脇小結という役を廃止にして幕内の力士は全員を前頭にして、上位も下位もなくて総当たり戦にするべき」などと考えている。今の時代に強い横綱大関というのは誕生しないと思うから。

 

 

さて、それで、今の相撲人気低迷の改革案としては、僕の他にも同じ案の人がいるようだが、横綱大関、関脇、小結といような上位陣の「役」を全部廃止にしてしまって、前頭筆頭から20枚目というふうにして、「横綱は格下の力士にはたき込み、送り出し、とったりという体をかわすような卑怯な相撲をしてはならず、横綱相撲で堂々と勝てないといけない」というような不文律のルールは全部排除をして、四十八手の中にある決まり手ならどんな決まり手で勝ってもいいというルールにすると、けっこう面白いスポーツになると思う。

 

ただし、相撲の歴史にうるさい日本人は「相撲というのは歴史を紐解けば神道の儀式の一つだから、横綱大関は堂々としてないとだめだ」という人が多い。しかし、今の科学的なトレーニングが進み、また、外国人力士の優勝が多くなると相撲は神道とは別れて国際的なスポーツにならないと、生き残ることはできないと僕は思う。