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ナチスドイツの戦犯が裁かれたニュルンベルク裁判所を訪問

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 ゲーリングを始めとするナチスドイツの戦争犯罪人が裁かれた裁判所は、今ではナチスドイツの犯罪とニュルンベルク裁判の歴史を展示する博物館になっており、誰でも見学することが出来る。

 

2012年9月に、ナチスドイツの戦争犯罪者たちが裁かれたニュルンベルク裁判所を訪問した。第二次大戦の敗戦国である旧枢軸国を裁いた戦争裁判では、有名なものとしては大日本帝国の犯罪を裁いた東京裁判と、ナチスドイツの犯罪を裁いたニュルンベルク裁判とがある。このブログ記事では、1945年から46年にかけてナチス・ドイツのA級戦犯が裁かれ、さらに、その後の継続裁判でもB・C級の戦犯(武装SS将校のヨッヘン・パイパー、クルト・マイヤー、SDのシェレンベルクなど)が裁かれた、ニュルンベルク高等裁判所を訪れた時の様子を書きます。

 

ナチの戦犯たちが裁かれたニュルンベルク裁判所は、日本のように巣鴨プリゾンの跡地に高層ビルを建てるという無粋なことなどはせずに、今でも裁判所として使われている。ニュルンベルク地方裁判所の大きな建物の隣の、小さな裁判所がナチの大物戦犯たちを裁いた建物だ。

僕はてっきりニュルンベルク高等裁判所の中の大きな法廷でニュルンベルク国際軍事裁判が行われたのかと思い、高等裁判所の入り口で、
「ナチスの戦犯が裁かれた、ニュルンベルク裁判所の展示を見たいのですが」
と言うと裁判所の職員のおじさんが、
「ここではなくて右隣にある建物だよ」
と教えてくれた。

右隣にあった建物はとてもナチスの大物戦犯たちが収容されて、裁判されて、処刑までされた建物とは思えないような、小さなレンガ造りの建物だった。今では簡易裁判所として使用されてるらしい。まあ、ニュルンベルクも市街の内の95%以上が破壊されたというのだから、僅かに焼け残った建物を探したら、この小さな裁判所くらいしかなかったのだろう。上の写真がかつてニュルンベルク国際裁判が行われた建物であり、とてもナチスドイツの重要な戦犯たちが裁かれるという、世界中が注目した裁判が行われた建物とは思えないような小さな建物だった。

 

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建物内に入って、カメラ以外の荷物を受付に預けると、すぐ近くにニュルンベルク国際軍事裁判が行われた法廷の入り口があった。上の写真が裁判が行われた法廷内部の写真。平日ではあったが、僕以外にもドイツ人数人が見学に来ていた。法廷の中は、別に日本の裁判所の法廷と何も変わらないような普通の法廷だった。想像していたよりもかなり小さくて狭いという感じだった。まあ、でも、説明文によると、今でも裁判に使われているので、当然、ニュルンベルク裁判当時と比べると、大幅に裁判室内部の座席の配置などが変わっていた。

 

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僕を含めて見物客は傍聴席にしか座れないのだが、当時は、傍聴席は2階にあり、現在の傍聴席には各国記者団が座ったという。それで僕は、ゲーリング、シュペアーなどのナチス大物戦犯が座ったと思われる場所を、何度もじーっと眺めた。他のドイツ人の客も同じようにナチス大物戦犯が座った辺りを見ていた。上の写真がゲーリングは始めとする、ナチスドイツの大物戦犯たちが座った座席があった位置。

 

ニュルンベルク裁判では弁護側は、「(既に自殺した)ヒトラーだけが有罪であり、他の被告たちは単に命令に従っただけだから無罪だ」と主張した。

 

その後、2階に行くと、ニュルンベルク裁判で裁かれた戦犯たちの逮捕から判決、刑の執行までが、ドイツ語と英語で説明されていた。ニュルンベルク裁判では、ゲーリング以下の12人が死刑となったが、ゲーリングは死刑執行当日の朝に毒薬を飲んで自殺して、ボアマンは行方不明だったので、結局、死刑となったのは10人だった。軍人では陸軍のカイテル元帥とヨードル上級大将が死刑となり、日本に関係ある人物では親日派で日独軍事同盟を強力に推進した、リッベントロップ外相が死刑となった。

それ以外は他のナチス関連の建物、博物館にあるような、ナチス・ドイツの戦争犯罪の説明が同じように書かれていた。僕にとって極めて興味深かったのは、[Allein war nur Hitler schuldig]「ヒトラーだけが有罪だ」(他の被告はヒトラーの命令に従っただけなので、全員が無罪である)というドイツ弁護団の主張だった。ドイツの場合は既に自殺したヒトラー、ゲッベルス、ヒムラーなどに責任があるという説明がなされて、「だから、ここにいる被告たちは無罪だ」と弁護団は主張したという。

 

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上の2枚の写真のうち、上の写真は裁判が行われた法廷を2階から見下ろした写真。見ればわかるようにそんなに大きな法廷ではない。左側にナチスの戦犯たちが座った。だが、判事の中にはユダヤ系アメリカ人がいたりなど、公平性を欠いていたのは明白である。下の写真は、裁判の時の法廷内の座席の配置を模型で再現したもの。今とはかなり座席の配置がかなり変わっており、連合国の国旗の前には判事たちが座り、その前には弁護団と検察団が座り、左側の板で囲まれた座席にナチスの戦犯たちが座った。写真で言うと手前の座席には各国の記者団が座った。ドイツ人戦犯の家族たちは2階の座席から裁判を傍聴した。日本の戦犯を裁いた東京裁判の時には、被告の家族が裁判を傍聴することはあまりなかったらしいが、ドイツ人の戦犯の家族は多くが裁判を傍聴して、英語がしゃべれる人も多かったので弁護団とよく談笑をしたという。

 

 

ニュルンベルク裁判でも東京裁判の時のように、「勝者が敗者を裁くのが正義なのか?連合国も原爆投下などの犯罪を行っている」という弁護側と検察側の間の、「お芝居」のようなものがあった。


ニュルンベルクでの恐らく世界で初めての大規模な国際軍事裁判が始まる前に、
「なぜ、勝者が敗者を裁く権利があるのか?例えば、我々はここで広島と長崎に原爆を落とす命令を出した者たちの名前をあげることができる。彼らは犯罪者ではないのか?」
という、ドイツ側弁護団からの裁判が始まった直後の主張と抗議があった。でも、このドイツ側弁護団の中には東京裁判での日本側弁護団のように、アメリカ人、イギリス人なども含まれていたから、「この裁判は公平である」ということを世界に主張するための芝居だったとも言える。

この弁護側の抗議と主張に対しては、裁判長も戦勝国の人で裁判官も戦勝国の人が多かったので、
「既に連合国首脳が集まった〇〇会談で、敗戦国の戦犯の裁判は決まっていた」「それは、この裁判の根幹を揺るがす問題で難しいテーマなので、裁判の中で常にチェックしていく」
などの説明がなされて、結局、詳しい説明はなされなかった。だからこのやりとりは、裁判の中立性をアピールするための芝居だった可能性がある。

 

裁判所博物館の受付に戻った時に、「僕は日本人ですがドイツ人に対してはニュルンベルク裁判があって、日本人に対しては東京裁判がありましたね」と受付のおじさんに言ったけど、おじさんは頷いただけだった。


それで裁判所博物館の見学を終わって受付に戻って荷物を受け取ると、建物を去る前に受付にいた50才ほどのおじさんにドイツ語で、
「僕は日本人ですが、ドイツに対してはニュルンベルク裁判があり、日本に対しては東京裁判がありました。戦勝国にも犯罪行為はあったのですが、敗戦国の犯罪しか裁かれませんでしたね」
ということを言ったが、おじさんは声を出して頷いただけだった。

ドイツ人に限らず、白人は話をするのが好きなのだが、まあ、おじさんは仕事が忙しかったのと、EUが出来て「ヨーロッパは一つ」という雰囲気なのに、厄介なトークは避けたかったのだろう。ちなみに僕がニュルンベルクを訪れたのは、EUがノーベル平和賞を受賞する前だった。

 

 

こちらがニュルンベルク裁判のウィキペディアの説明。詳しく知りたい人はこの説明を読んでください。

 

ja.wikipedia.org

 

さらに、映画に詳しい人なら知っていると思うけど、ニュルンベルク裁判について1961年に映画化されている。出演はスペンサー・トレイシー、バート・ランカスター、マレーネ・ディートリッヒ、マクシミリアン・シェル、リチャード・ウィドマークなどの超豪華キャストである。この映画でナチス戦犯を弁護する若いドイツ人弁護士を演じたマクシミリアン・シェルは、アカデミー主演男優賞を受賞している。ナチスを嫌ってアメリカに亡命したM・ディートリッヒが、裁判で死刑になったドイツ軍将軍の未亡人の役で出演しているのが、とても興味深い。

 

映画「ニュルンベルク裁判」のウィキペディアの説明。

 

ja.wikipedia.org