- 僕が行ったことのある、ヒトラーの山荘があったベルヒテスガーデンは日本人びいきのドイツ人がすごく多かったという話と、ニュルンベルクではナチスドイツ時代にナチス党大会と戦後にニュルンベルク国際軍事裁判が開かれたという記事。
- ヒトラー総統には隠し子がいたということを、ベルヒテスガーデンにあるペンションのお年寄り女性のオーナーから教えられたという話。
今日はちょっと忙しいので、2年ほど前にアップした記事を再アップします。最近、僕のブログの読者になって、昔の記事を読んでいない人も多いと思いますから。
僕が行ったことのある、ヒトラーの山荘があったベルヒテスガーデンは日本人びいきのドイツ人がすごく多かったという話と、ニュルンベルクではナチスドイツ時代にナチス党大会と戦後にニュルンベルク国際軍事裁判が開かれたという記事。
deutschland-lab.hatenablog.com
ベルヒテスガーデンはヒトラーの別荘があった土地であり、1997年に初めてここを訪れた時は、第二次大戦とヒトラーの本を数冊持って歩いてると、周りの中年以上のドイツ人たちが、「あの同盟国だった日本人の若い学生は第二次大戦の勉強をしている」と言って、こちらがバスに乗ったり歩いたりしてるだけで、ドイツ人たちの方からニコニコ微笑んで近寄ってきた。それで、こちらはまだドイツ語があまり話せなかったが、ドイツ人たちは拍手をしたりして喜んで歓迎してくれた。
でも、今はドイツはEUの牽引国であり、ウクライナ戦争、EUの経済問題などで大変なので、日本との昔の同盟関係を意識してる人は少なくなってる。それに、第二次大戦を体験したドイツ人はどんどんと亡くなっているので、たまにテレビで放送されるホロコースト映画と戦争映画を見る時くらいしか、第二次大戦には興味を持たないらしい。
ニュルンベルクはナチス党大会と戦後にナチス戦犯を裁いたニュルンベルク国際軍事裁判が行われた場所である。だから、僕はニュルンベルクも2回訪れた。ニュルンベルクのナチス党大会が開かれた広場、軍事裁判が行われた裁判所はまだ残っていて、ドイツ政府は永遠に残すつもりだという。東京裁判が行われた巣鴨プリズンに高層ビルを建ててレジャー施設にしてしまった日本とは大きな違いである。
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ヒトラー総統には隠し子がいたということを、ベルヒテスガーデンにあるペンションのお年寄り女性のオーナーから教えられたという話。
こちらは、ヒトラーの山荘があったベルヒテスガーデンに行った時に、ヒトラー総統には隠し子がいたというSFみたいな本当の話を知った時のことを書いた記事。決して安っぽいハリウッド映画のような作り話ではない。
ベルヒテスガーデンに行く前に、当然、泊まるホテルか安いペンションを探していたのだが、その中に「ホテル・ツム・トゥルケン」というなぜか日本語でペンションの歴史を詳しく書いてあるサイトがあったので、そこのペンションに1泊予約のメールを送った時にドイツ語で「何で、日本語でペンションの歴史が書いてあるのですか?」と質問をした。そこのオーナーのS夫人は「ここにはよく日本人の方がお泊りになって、Gさん(僕と同じ家族名)と親しいので、ペンションの歴史を日本語に翻訳して書いて
もらいました」というメールの答が返ってきた。Gさんとはその当時(2005年6月)はまだ会ったことがなかったが、ネットで会話を何度もしたことがあった。
それで、ベルヒテスガーデンに行った時にS夫人と会ったのだが、S夫人は「Gさんはヒトラーの息子を日本に招待しようとしていたのです」という何とも衝撃的な話をした。ヒトラーの息子については第一次大戦中にヒトラーが伝令兵として戦場にいた時に現地のフランス人女性と恋仲になって、そして、男の子供が産まれたのだという。しかし、そのフランス人女性が戦後になって亡くなる前に「あなたのお父さんはヒトラー総統なの」と言い残した以外、ヒトラーの息子と断定する証拠はなかった。そこで、DNA鑑定などを詳しくしたことろ医者たちは、「ヒトラーの息子である可能性が高い」という結論を出した。
彼はもう亡くなり、ヒトラーの孫という方がフランスでフランス人として生きてるが、DNA鑑定などをしたところ、「彼もヒトラーの孫という可能性が高い」と、検査をして医者たちは結論を出したという。これは、もしヒトラーの息子を産んだ母と息子が熱狂的なネオナチ信者だったら、ヨーロッパと世界は第二次大戦が終わった後もとんでもないことになっていたかもしれないという秘話である。この2人がナチス信者だったら、ヒトラーの隠し子を柱としてナチス勢力の残党が力を盛り返したかもしれない。