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ヒトラー総統大本営のあったヴォルフスシャンツェの写真(2)

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 このブログ記事でも、ヒトラー総統大本営のあった「ヴォルフスシャンツェ」に残るブンカー廃墟を紹介する。

 

ヒトラー総統大本営のあったヴォルフスシャンツェ(”狼の巣”という意味)跡を紹介するブログ記事のPART2。1944年7月20日に、ドイツ陸軍のシュタウフェンベルク大佐がヒトラー暗殺のためにここで爆弾を爆発させたこと。その暗殺未遂事件の様子が2009年にトム・クルーズが主演をしてハリウッドの映画会社が映画化したこと。ヴォルフスシャンツェがあるポーランドのケントシンという町が、かなり辺鄙な場所にあるので、アクセスが悪いことは既に前のブログ記事で書いた。

 

写真上はゲーリング空軍元帥のブンカー跡。前のブログ記事でも述べたが、ドイツ軍と戦っていたソ連軍がヴォルフスシャンツェを占領した時に、ヒトラーの司令部があった忌まわしい場所なので、全てのブンカーを爆薬で破壊しようとしたが、ブンカーはあまりにも頑丈なので、完全に破壊することはできずに、写真のように廃墟となって残っている。でも、男性の中には写真に写っているポーランド人女性たちがとても美しいことに気づくだろう。ポーランド、ドイツ人女性の美人はハリウッド映画の女優よりも美しい人が多い。(笑)

 

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リッベントロップ外務大臣のブンカーもあり、リッベントロップは大の日本びいきであり、親中国派の人物が多かったナチスドイツ政権の外交を転換させて、日独伊三国軍事同盟締結に導いた立役者である。

 

 

写真上はナチスドイツ政府の外務大臣だった、ヨアヒム・フォン・リッベントロップ外務大臣のブンカー。ヒトラー、ゲーリングのブンカーよりもかなり質素なことがわかる。恐らく宿泊用のブンカーで、中で重要な会議などをすることがなかったから質素なブンカーになったのだろう。リッベントロップ外相は大の日本びいきであり、実はいうとナチスドイツ政府はヒトラー政権が誕生した当初は、日本は第一次世界大戦では敵国だったことから、日本よりも中国寄りの人物がかなりいたが、それを日本寄りに導いて日独伊三国軍事同盟成立に大きく貢献したのが、リッベントロップ外相と駐ドイツ大使大島浩である。

 

 

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写真上はヴォルフスシャンツェ跡地に残る鉄道駅の跡。ここにヒトラー総統大本営があった時にはかなり大きな駅があり、ヴォルフスシャンツェを訪れる客の多くはこの駅に降り立った。他のヴォルフスシャンツェへのアクセス方法としては飛行機があり、1944年7月20日の暗殺未遂事件の時は、シュタウフェンベルク大佐は飛行機でベルリンとヴォルフスシャンツェを往復している。

 

 

 

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ヴォルフスシャンツェ跡地は今ではポーランド領であるが、第二次世界大戦でポーランドはナチスドイツから酷く迫害されたにもかかわらず、現地には反ドイツの雰囲気はあまりなかった。理由はドイツの後に共産主義でポーランドを支配したロシア(旧ソ連)への憎しみの方が強いからである。

 

写真上はヴォルフスシャンツェ跡地の近くにあるブンカー跡地内にあった、当時の武器のレプリカの展示。この土地にはブンカーが非常に多くて、ヴォルフスシャンツェ跡地以外にもかなりの数のブンカーがあり、多くのナチスドイツ軍高級将校が休暇の時に訪れていた。リッベントロップ外相のようにこの土地に別荘を持っていた人もいた。

 

このような展示を主催しているのは、驚くべきことに現地に住むポーランド人たちである。ポーランドはナチスドイツによって第二次世界大戦中にかなり酷い被害を被ったが、ポーランド人はドイツ人よりもロシア人をすごく嫌っている。僕のポーランド人の彼女も言っていたが、ポーランドが本当の自由を手に入れることができたのは1991年にソ連が崩壊した時であり、1945年からはソ連の共産主義による恐怖政治が始まった。僕の彼女はこう言っていた。

「ナチスドイツの占領による恐怖は6年間で終わり、戦後はドイツ政府は謝罪をしてくれて、ポーランド経済復興にも貢献している。でも、旧ソ連は第二次大戦後も46年もポーランドを共産主義で支配して、ポーランドの優れたキリスト教文化などを破壊したのに、ロシア政府は謝罪すらせずに、『ロシアは第二次大戦の戦勝国の偉大な国だ』などと言っている。多くのポーランド人はドイツよりもロシアを嫌っている。」