Deutschland-Lab

Deutschland-Lab

歴史や文化、スポーツなどドイツに関する情報まとめサイト

ヤクルトの高津監督と僕の奇妙な縁

f:id:novaluewriter:20211129134309p:plain



 

 

 

今日も僕が子供の頃のことについて、ブログ記事に書こうと思います。ドイツについてのブログではありますが、僕が子供の時の思い出話もけっこうけっこう面白いと思いますので。

 

 

ヤクルトの高津監督は実家が広島市東部にあるが、僕の両親は宮城県出身だけど父が銀行員で転勤族だったので、小学生の時に広島市西部に住んでいたことがある。それで、僕と高津は学年が同じでもある。

 

 

僕の父が大手銀行勤務だったので、両親ともに東北の宮城県出身だけど父の転勤に伴って僕が小学校を卒業するまでに全国各地に住んだということは、既に今までのブログ記事に何度も書いた。それで、僕が小学生3年の6月から小学生5年の1月までは、父が銀行の広島支店勤務だったので広島に住んでいた。個人情報になるが、具体的に言うと今でいうと広島市西区にある古江という所に銀行の社宅アパートがあったので、そこに家族で住んでいた。ただし、僕が広島に住んでいた昭和50年半ばはまだ広島市は政令指定都市ではなかった。

 

それで、なんで広島に住んでいたのがヤクルトの高津監督と関係があるのかというと、高津は生まれも育ちも広島市内なのである。個人情報だが、既に高津臣吾のウィキペディアに書いてあることなのでここにも書くが、高津はJR広島駅の近くで、広島市東部にある段原に住んでいた。僕が住んでいた古江は西部にある。広島に行ったことのある人ならわかると思うが、広島市内のメイン交通機関は路面電車だが、僕の住んでいた家から高津の実家までは、路面電車で行けば1時間ほどの距離になる。写真上はヤクルトの高津監督。

 

だから、僕の家族と高津の家族は広島市内の繁華街ですれ違ったことがあるかもしれない。もちろん、当時は高津はまだ子供だったからすれ違っても誰も気づかなかったけど。

 

 

それで、僕も高津も同じ昭和43年生まれで同学年なので、広島市内、特に広島市内の繁華街で買い物をしていた僕の家族と高津の家族がすれ違ったとか、あるいは同じ路面電車の電停に立っていたことがあるという可能性がある。地方都市広島の繁華街といえば紙屋町、八丁掘などの狭いエリアで東京のように渋谷、新宿、池袋など各地に散らばってないので、クリスマスなど広島の繁華街に市民が集まる時期には、クリスマスの買い物に来たうちの家族と高津の家族が繁華街ですれ違った可能性はかなり高い。もちろん、当時の高津少年は将来はプロ野球選手になるくらいだから、小学校5年生にしては身長は大きかったと思うが、まだ1人の広島カープファンの子供だったので近くにいても誰も気づかなかっただろう。

 

生まれも育ちも広島の高津は、当然ながら広島ファンで山本浩二、衣笠などが大好きだっただろうが、僕は転勤族の子供で東京の目黒区から広島に引っ越してきたから、巨人のファンであり、どうしてもすぐにカープファンになることは出来なかった。同級生の男子もカープファンが多かったので、プロ野球の話になると仲間に入れない事が多かった。でも、当時のカープは「江夏の21球」があって初めて日本一になった頃なので、カープフィーバーで沸いていたのは当然だろう。ちなみに、「江夏の21球」があってカープが初めて日本一になった時は、カープファンが多い広島市民は感動の涙を流しただろうけど、僕も机に伏して悔し涙を流した。「江夏の奴、余計なことをしやがって!」と叫んだ。(苦笑)それで、2年半ほど広島に住んで、「広島にも長く住んだから、そろそろカープファンになろうかな」と思い始めた頃に父が、「大阪支店に転勤」という辞令をもらってきたので、家族は銀行の社宅アパートがある西宮市に引っ越すことになった。だから、結局、カープファンになることはなかった。(苦笑)

 

ここで面白いのは両親ともに東北地方の宮城県出身で、ほとんどの親戚が宮城県に住んでるという僕が、両親親戚が広島に住んでるという高津と広島市内で会ったことがあるかもしれないこと。これは、やはり僕の父が東北大学卒で全国に支店がある大手銀行に勤務していたので、こういう変わった現象が起こった。

 

 

僕の父は秋田支店にも単身赴任で勤務していたので、秋田県の鷹巣出身のオリックスの中嶋監督とすれ違ったことがあるかもしれない。

 

 

これは、ヤクルトの高津だけに限ったことではなくて、他のプロ野球選手にも言えることである。実はいうと日本シリーズで対戦したオリックスバッファローズの中嶋聡監督も、僕と同じ学年で秋田県の鷹巣出身なのだが、僕の父は大阪支店勤務の後に秋田支店で単身赴任して2年ほど住んでいたので、僕の父は中学生だった中嶋少年と秋田市内で会っていた可能性がある。それで、父以外の家族は当時は仙台のマイホームに住んでいたが、中学3年生の夏休みに父の住んでる秋田市に母と一緒に行ったことがあるので、その時に同じ中学3年生の中嶋聡に会ってた可能性がある。ただし、僕は秋田に行ったのはこの1回だけで3日ほどしか滞在しなかったから、会っていた可能性は極めて低いが。(苦笑)

 

 

今日は僕の父が転勤族だったので、小学校卒業までに家族は日本各地に住んだから、広島に住んでいた時にまだ小学生だった高津臣吾に会っていた可能性があることを記事に書きました。そんなに珍しい話ではないかもしれませんが、僕とヤクルトの高津監督が広島市内で小学生の頃に会ったことがあるかもしれないということは、僕にとっては随分と奇妙な縁だと思うのです。