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追悼・水島新司先生

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僕の大好きだった野球漫画家の水島新司先生が亡くなりました。心からお悔やみを申し上げます。今日は水島新司先生のマンガの思い出を書こうと思います。

 

 

僕はあまり漫画を読まないが、水島新司の「ドカベン」などの野球漫画はよく読んだ。理由は東京、広島、西宮という野球が盛んな街に住んだからで、野球漫画を読んでいれば友達ができた。

 

 

僕は小学生の頃は「ドカベン」「ドラえもん」「サザエさん」「じゃりン子チエ」などの子供向きの漫画を普通に読んでいたけど、中学生卒業の頃には「ドカベン」のような野球漫画以外はあまり読まなくなった。他の友達は「うる星やつら」「ドラゴンボール」「北斗の拳」などの漫画を読んで盛り上がっていたけど、僕は段々と「漫画はワンパターンだし、話がぶっ飛びすぎで面白くない。映画の方が面白い」と思うようになった。当時は1980年代だったのでまだアニメ映画は人気がなくて、実写映画が立ち見が出るほどに大ヒットしていたから、封切りで映画館で見たり、過去にアカデミー作品賞を受賞したような名作映画をレンタルビデオで借りてきて見たりしていた。だから、漫画が好きな人たちとはあまり話が合わなかった。

 

そんな漫画にあまり興味がなかった僕が30歳を過ぎても読んでいた漫画が、水島新司の野球漫画だった。僕は父が転勤族だったので生まれた時から日本全国を引っ越していたことは何度も書いたけど、僕が小学校卒業までに住んだ街というのが、名古屋、東京、広島、西宮というふうにプロ野球チームがあって野球が人気のある街ばかりだったので、「水島新司の野球漫画を読んでいれば、必ず友達ができる」という計算がそこにはあった。実際、水島新司の野球漫画の話をすればどこでも友達はできやすかった。一方で中学校入学の時に仙台に引っ越したら仙台にはプロ野球チームがないせいなのか、水島新司の野球漫画を読んでる人が少ないことに驚いた。

 

 

水島新司の野球漫画にも功罪があり、功は野球人気を広めたこと。罪は「ドカベン」は高校野球をテーマにした漫画なので、腕を痛めても根性で投げる投手の話を美談として描いたこと。

 

 

そんな水島新司の野球漫画にも功罪が色々とあった。功というのはやはり「ドカベン」のように高校野球を描き、「野球狂の詩」のようにプロ野球野球を描いて野球人気を盛り上げたことである。「ドカベン」以外で高校野球を描いた人気漫画といえばちばあきおの「キャプテン」くらいしかなくて、基本的にその後の高校野球漫画はこの2作のパターンを真似してるだけである。

 

罪というのはこの野球漫画が人気があった昭和時代当時は、プロ野球と高校野球ぐらいしか人気スポーツがなかったからだろうが、今は高校野球で問題となってる投手の酷使、部活での体罰というのを美談みたいにして描いていたことである。「ドカベン」では明訓高校のエース投手の里中は、神奈川県予選から甲子園の決勝戦まで投げて、いつも準決勝の頃には肩を壊してしまうし、明訓高校の徳川監督は大の酒好きで、「酔いどれノック」といってお酒に酔った状態で選手たちにノックをする。ノックが取れないと容赦のない罵声を浴びせる。今の時代でこのような話を美談として描いたら、すぐにクレームが殺到するだろう。

 

でも、「ドカベン」が人気があった頃には、高校野球では1人のエース投手が甲子園で優勝するまで何百球も投げるのが当たり前であり、水島新司の漫画だけが異常だったわけではない。

 

 

しかし、水島新司を弁護するなら、昭和時代の当時は高校の野球部ではどこでもやっていたことであると、昭和時代に高校野球とプロ野球で活躍した元選手たちは告白している。昭和時代は延長18回まで戦う高校野球を「素晴らしい根性野球だ」と思って多くの国民が感動して見ていた。有名な試合で1979年全国高校野球大会の箕島対星稜の延長18回の熱戦があった。この試合を見て確かに多くの野球ファンは感動して、この試合に勝った勢いに乗って箕島高校は優勝したが、連投を続けた箕島のエース投手の石井投手は肩を壊して、のちにプロ野球に入ったが、あまり活躍しないで引退をした。

 

石井投手のように高校野球で大活躍したからプロに入ったけど、高校野球で肩を酷使したのでプロではあまり活躍できなかったという投手がかなりいる。実はいうと去年引退した松坂大輔も、「高校野球の時と西武に入ったばかりの頃に、かなり無理をして肩を酷使したので、29歳の時には既に肩が壊れて限界だった」と告白している。だから、松坂は35歳の頃には既に140キロ前半の速球しか投げれなくなっていた。松坂ですらこのようになってしまうのだから、今では高校野球でもプロ野球でも球数制限という考えが導入されている。「ドカベン」の明訓高校エースの里中がいつも肩か肘を壊すというのは、水島新司は既に昭和時代に「投手の肩は消耗品」ということをよく知っていたのだろう。

 

だから、今の時代に昭和の高校野球を描いた「ドカベン」」を若い人たちが読んだら、「部活での体罰は当たり前だし、投手の肩が壊れることをあまり考えてないから、無茶苦茶な野球漫画だ」と思って、ちょっと引いてしまうかもしれない。現に甲子園大会の準決勝に勝った後に明訓の投手の里中が、「決勝は腕がちぎれても俺が投げる!」などと言うシーンがある。今だと問題かもしれないが、当時はエース投手がこんなことを言うのは当たり前の雰囲気があった。

 

 

ドカベン以外に僕が好きだった水島新司の野球漫画は「野球狂の詩」であり、こちらは高校時代にソフトボール部のエース投手だった女子選手が、プロ野球選手になって活躍するという話。

 

 

もう一つ僕がよく読んだ水島新司の野球漫画は「野球狂の詩」」だ。「野球狂の詩」は高校を卒業したばかりの元ソフトボール部女性エース投手の水原勇気が、東京メッツという架空のプロ野球チームに入団して活躍するという話である。この漫画は水島新司が、「女性がプロ野球で投手として活躍することはできるだろうか?」と、当時、南海の捕手兼監督だった野村克也に相談して、「何かすごい変化球を投げれれば、1イニングくらいなら抑えられる」と答えたことから、連載が始まった漫画である。

 

ソフトボールの左腕のエース投手だった水原勇気の才能にほれこんだ岩田鉄五郎という東京メッツの投手コーチが、水原にドリームボールという変化球を教えて、そしてプロ野球の実在した選手たちと漫画の中で対決する。奇妙なことにアメリカのメジャーリーグとは違って、日本のプロ野球には選手の肖像権という概念がまだなかったので、1970年半ばのスター選手だった巨人の王、張本、阪神の田淵、掛布というスター選手たちが実名で水原と対戦する。野茂がメジャーに行った時に、ようやく日本でも選手の肖像権が問題となり、水島新司は罰金50万円ほどを日本プロ野球協会に支払っている。

 

肖像権がなぜ問題なのかというと、例えば漫画の中でAという実在する野球選手が事実とは違って乱暴な選手として描かれると、その選手のイメージダウンになるからである。また、Bという選手がエラーをしたせいで大事な試合に負けるという話にすると、その選手は「守備が下手」というイメージがついてしまう。実際に水島新司は実在する選手に、「あなたはこういう選手として描きますがよろしいでしょうか?」と言うふうに、漫画に書く前に電話で伝えている。

 

 

今日は亡くなられた野球漫画家の水島新司を追悼するということで、「ドカベン」「野球狂の詩」という漫画についてブログに書いてみました。