- ポーランド人がウクライナ難民に寛容な大きな理由は、背後に強い反ロシア感情がある。第二次大戦後に旧ソ連に無理やり共産主義陣営に引き入られてから、ポーランドでは反ロシア感情が強い。
- ポーランド人には「明日は我が身」という気持ちもあるようだ。ポーランドの政治家もウクライナとバルト三国がロシアに攻撃されたら、次はポーランドかもしれないという危機感がある。
- ポーランドは今までに近隣のロシア、プロシア(ドイツ)、オーストリア=ハンガリーによって3回も国が分割されて消えているので、国を持たない難民の苦しさをよく知っている。
ポーランド人がウクライナ難民に寛容な大きな理由は、背後に強い反ロシア感情がある。第二次大戦後に旧ソ連に無理やり共産主義陣営に引き入られてから、ポーランドでは反ロシア感情が強い。
今はウクライナ戦争が続いていてウクライナからは数百万人の難民が出ているが、ポーランドはウクライナからの難民の多くを受け入れていて、ウクライナ人に対してはとても寛容である。ポーランド人は自分たちの家にウクライナ難民を宿泊させたり、ポーランドの公立学校に難民を受け入れたりしている。ポーランドではあまりウクライナ難民の排斥運動などは起こっていない。なぜ、ポーランド人はこれほどウクライナ人の難民に寛容なのだろうか?
その大きな理由の一つは、ポーランド人はすごく旧ソ連とロシアを嫌っていることであろう。つまり「敵の敵は味方」ということで、ウクライナ人の難民に対して寛容に接しているのだろう。ポーランドというと第二次大戦中にアウシュビッツ強制収容所などの強制収容所をナチスドイツによって作られて、ユダヤ人とポーランド人の虐殺が行われたことから、ドイツに対する反感が強いと思われてるかもしれない。だが、僕のメル友で実際にポーランドのシュチェチンで会ったポーランド人女性は、「戦後、ドイツはちゃんと謝罪をしてポーランド経済復興のために力を貸してくれたけど、旧ソ連とロシアは戦後は謝罪もしてないし、ポーランドのために何の役にも立っていない。ナチスドイツシンボルのハーケンクロイツ、ネオナチ活動は厳しく禁止されるか、あるいは非難されてるけど、旧ソ連関連のものはまだ禁止されるどころか旧ソ連の記念碑などはまだ東ヨーロッパの各地に残っている。とても気味が悪いし不気味だ」と言っていた。
上の写真はポーランドの首都ワルシャワに建つ文化科学宮殿であり、これはスターリン時代にソ連からポーランド共産党政府に贈られた建物である。でも、ワルシャワ市民はこの建物を嫌っており、この建物から見るワルシャワ市街が最高に美しいと言われている理由はこの嫌いな建物を見なくて済むからである。それほど、ポーランド人はソ連を受け継いだロシアのことを嫌っている。ポーランド人がロシアをすごく嫌っているということについては、過去に僕はブログ記事に書いたことがある。
deutschland-lab.hatenablog.com
ポーランド人には「明日は我が身」という気持ちもあるようだ。ポーランドの政治家もウクライナとバルト三国がロシアに攻撃されたら、次はポーランドかもしれないという危機感がある。
さらに、ウクライナの隣国のポーランドにとっては「明日は我が身」という危機感もあるだろう。アメリカを始めとするNATOの首脳もゼレンスキー大統領のウクライナを支援する理由は、「もし、ウクライナがプーチンのロシア軍によって占領されると、その次はバルト三国とモルドバが攻撃されて、その次はポーランドという危険性がある。何が何でもウクライナでロシア軍を止めないといけない」と言っている。今のプーチンが率いるロシア政府はロシアを旧ソ連に戻そうとしているので、これは可能性としてはあり得る話だ。もちろん、プーチンが加盟国であるバルト三国とポーランドまで攻撃するとなると、ヨーロッパで核戦争が起こる危険性まである。
ポーランドは今までに近隣のロシア、プロシア(ドイツ)、オーストリア=ハンガリーによって3回も国が分割されて消えているので、国を持たない難民の苦しさをよく知っている。
ポーランドの悲惨な歴史もポーランド人が難民に寛容な理由の一つである。ポーランドは今までに3回も国が消滅している。1回目は18世紀の1795年で、その後ワルシャワ公国という名前でナポレオンがポーランドを再生したが、ナポレオンの敗北とともにまたポーランドは消えた。この頃にポーランド国歌である「ドンブロフスキ将軍のマズルカ」が作られたので、ポーランド国歌にはナポレオンが登場する。
その後、第一次大戦でドイツ第二帝国とロシア帝国とオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊するとポーランド人の独立運動は成功して、ようやくポーランド共和国が成立した。しかし、不運なことに西のドイツではヒトラーが、東のソ連ではスターリンが独裁の指導者になったので、1939年に第二次大戦が起こった時にヒトラーのドイツ軍が西から攻め込んできて、スターリンのソ連軍が東から攻め込んできて分割されて、ポーランドはまたまた国がなくなってしまった。
第二次大戦後にソ連軍が戦勝国になったのでソ連の傀儡の共産主義ポーランド人民共和国が誕生した。しかし、電気技師のレフ・ワレサなどが労働組合「連帯」を組織して1980年から反共産党政府運動を行って、ソ連のリーダーがゴルバチョフになって「ペレストロイカ」が始まるとようやくポーランドは真の自由を得て「ポーランド共和国」を1989年に成立させることが出来た。
ポーランドというのはこのように苦難の歴史の連続だったので、移民難民をよく受け入れる国なのである。しかし、そのポーランドでも最近は、アフリカとイスラム諸国からの移民の受け入れに対しては反対してる国民が多い。理由はやはり治安の悪化と宗教が違うからである。ウクライナ人などのキリスト教徒の移民難民は受け入れるが、イスラム教徒の移民は宗教と習慣が違うので、流石に移民難民に寛容なポーランド人も受け入れを拒否している。他のヨーロッパ諸国でも中東のイスラム諸国からの移民難民に対しては、「キリスト教社会を壊されるから」という理由で反対運動が強い。