Deutschland-Lab

Deutschland-Lab

歴史や文化、スポーツなどドイツに関する情報まとめサイト

実は言うと軍事マニアがかなり多い広島市

 

 

実は言うと広島は旧陸海軍の関係者がすごく多くて軍事マニアがかなり多かったので、その雰囲気で僕も広島に住んでいた時に本格的な軍事マニアになった。

 

 

僕が子供の頃から軍事マニアであることは僕と交流しているユーザーさんならよく知っていると思うが、僕が本格的に特にドイツ軍マニアになったのは、実は言うと小学校4年生の時で当時は広島に住んでいて、名作大作戦争映画の「遠すぎた橋」が映画館で上映されていた。「遠すぎた橋」は結局、封切りが終わる時をよくチェックしていなかったので、映画館には見に行けずにテレビ放送まで待つことになったが、この大作映画が当時宣伝されていたことから僕は第二次大戦のヨーロッパ戦線に興味を持って、それで、ティガーⅠ型戦車の模型と子供向けドイツ軍の戦記を父に買ってもらってドイツ軍マニアになった。

 

僕が今は仙台に住んでるのに当時は広島に住んでいたというのは、何度も書いたように両親は東北の宮城県出身なのだが、父が東北大学卒業で大手銀行に入ったので、東北しか知らない父は「西日本で生活してみたいです」と入社時に希望したようで、家族は僕が小学校を卒業するまでに松山、名古屋、東京、広島、大阪に住んだのだった。

 

広島に軍事マニアが多いというのは、広島に原爆が落ちた経緯を考えれば納得できる。広島には西日本最大の軍事基地があり、それを潰すために米軍は広島に原爆を落としたのだった。だから、広島には今でも旧軍関係者の子孫が多い。

 

実は言うと広島は初めて原爆が落ちた都市として「平和都市宣言」をしているが、軍事マニアの子供がかなり多い都市である。同級生の中には、「広島市民だからというので原理的平和主義者になり、核廃絶を訴えるべきという平和主義の押し付けは、憲法の保障する自由思想に反している」と言って、広島市教育委員会が進める平和教育を嫌う男子もいた。

 

なぜ、広島に軍事マニアが多いのかというと、広島に原爆が落とされた理由を考えればすぐにわかることである。近くの呉には海軍最大の軍港があり、広島湾に浮かぶ江田島には海軍兵学校があり、今でも海上自衛隊の大学がある。市内の比治山には陸軍第2総軍の司令部があって、日露戦争の時にはここに大本営が置かれて明治天皇が広島に何度も来ている。つまり、広島は西日本最大の軍事基地があったから原爆が落とされたのだった。

 

だから、広島は明治維新以降は「軍都」として発展をして大都市になったので、帝国陸海軍に感謝をしている市民もかなり多いし、右翼団体もかなり多い。僕が広島に住んでいた昭和50年代は旧軍の関係者もかなり生きていて、「俺のおじいさんは戦艦長門に乗ってたんだ。かっこいいだろ」という同級生もいた。市内の模型店のミリタリー物のコーナーには常に子供が欲しい戦車、戦闘機、軍艦の模型を探していて、模型店にはいつも数人のお客がいた。だから、呉に「戦艦大和ミュージアム」が建てられた時には喜んだ広島市民も多かっただろう。

 

広島市というのは、原爆が落ちた街と同時にこれだけ元軍都という雰囲気を引きずる都市だったから、僕も同級生の多くの軍事マニアとよく軍事の話をしたものだった。その中ではよく「憲法第九条を唱えてるだけでは、平和にはならない。日本だけが憲法第九条を持っているのは意味がない」という話も出た。実際、横田めぐみさんを始めとする多くの日本人が北朝鮮工作員に拉致されていたのは、僕が子供の頃だった。でも、日本政府は北朝鮮の背後にいる中国とソ連が怖くて何も言えなかった。言わないどころか、「自衛隊憲法違反だから廃止にして、非武装中立を」などと社会党は訴えていた。その結果が、1000人近い日本人が北朝鮮工作員に拉致された疑いがあるという難しい現状である。

 

 

これからも広島は巨大な軍事基地を持ちながら核廃絶を訴えるという、2つの顔を持ち続けることとなるだろう。広島湾ほど海軍基地に向いてる湾は日本国内では他にはないから。

 

 

「原爆が落ちた広島で軍事マニアなんかしていて良心が痛まなかったのか?」などと思う人もいるかもしれないが、確かに原爆資料館平和公園の前を通る時は心が痛んだが、そんなことを言い出したら米軍のB29爆撃機、M4シャーマン戦車などの模型を売ってる広島の模型店、それを作った模型メーカーに問題がある。自由主義だから売れると思う商品は売るのが当たり前だ。

 

実際、僕も広島に住んでいた時にタミヤ模型から発売されていてアメリカ軍の戦車とフィギュアの模型をたくさん作った。僕の友達たちも、同じようにミリタリーの模型を作っていた。でも、友達たちは「ミリタリー関係でではG(僕のこと)が一番だな」と言って褒めてくれた。一方で女子生徒からは「軍隊の話ばかりしてないで、うちらのわかる話もしてよ」などと言われたこともあった。でも、両親は東北に住む転勤族なので、「G君は生まれも育ちも広島のうちらと違って転校が多いから大変やね」と言われていて、女子からはけっこうモテた。(笑)

 

というわけで、なぜか報道されてないが広島は戦前戦中は軍都だったので、けっこう軍事マニアと旧軍関係者が多いことを書いたが、広島と近くにある呉は軍都として戦艦大和を建造した巨大な三菱造船所などと成長した都市なので、これからも広島は平和都市と大規模な自衛隊と米軍の軍事基地があるという2つの顔を持つことになるだろう。