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ドイツのベルリンに兄と旅行に行って帰りの飛行機がキャンセルされた

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1996年のクリスマスから97年の新年まで約1週間、兄と一緒にドイツのベルリンに滞在をした。

 

 

1996年の年末から97年の年始にかけて兄と一緒にドイツの首都ベルリンに行った。ドイツの首都ベルリンに行ったと言っても、当時はまだドイツ政府の主な機能は西ドイツの首都だったボンにあった。97年の新年に行った時は、東ドイツ時代は放置状態だった国会議事堂などの1945年にナチスドイツが敗北するまで使われていた旧ドイツ政府の建物を修理したり、建て直したりしている最中だった。この作業が終了してベルリンに首都昨日が移転したのは1999年夏頃になる。だから、ドイツ再統一が1990年の10月だったから、まだ東ベルリン地区に住んでる人たちはなんか貧乏で愛想が悪くて、西ベルリンは金持ちで陽気な人が多いという雰囲気だった。この東西ドイツの格差が消えたように思えたのは、2006年7月に僕が4回目にベルリンに行った時まで待たないといけない。

 

それで、96年の12月26日から97年の1月2日までベルリンに滞在して、2日の夕方のKLMオランダ航空の便でアムステルダム経由で日本に帰る予定だった。一度、アムステルダムまで飛ばないといけなかったのは、ベルリンから東京成田空港まで直行便の飛行機はないからである。今でも、確かドイツの首都ベルリン行の飛行機は日本から飛んでいないはずである。ドイツ行きの飛行機は日航全日空、ルフトハンザでもフランクフルト、ミュンヘンデュッセルドルフにしか行かないはずである。ベルリン行きの直行便がないのはベルリンに大きな空港がないこと、ベルリンの周りにはあまり観光地がないことなどが理由に挙げられる。

 

 

帰る日の1月2日にベルリンのテーゲル空港に行ったら、KLMオランダ航空でアムステルダムまで飛んで、そこから東京行きのJALに乗る予定だったのだが、オランダ航空の便はキャンセルになってJALの便に接続できなくなった。

 

 

それで、1月2日の夕方にベルリンのテーゲル空港に行って兄がアムステルダム行きのチケットをKLMオランダ航空の係員に見せたら、KLMの係員は「その飛行機はエンジントラブルで飛ばないことになったので、他のフライトを手配するか、KLMがベルリンに用意してある旧式飛行機で数時間後にアムステルダムに飛ぶかを選択してください。それで残念ですが、午後7時にアムステルダムから東京に向けて出発する日本航空の便には接続できません」と兄に言った。

ここからがちょっと大変で、兄は英語がよく喋れないので、英検準1級を持ってる僕がKLMオランダ航空との交渉を行った。若い男性のオランダ航空の係員に、「アムステルダムにいるJAL(日航)の人たちに電話してくれないか?『我々2人の日本人が今日の飛行機に乗れなくなったので、明日の飛行機のチケットを手配してください』とJALの係員に電話で伝えてほしい」と彼に言ったら、男性係員は「アムステルダムJALの電話番号はわかりません。でも、今ここで出来なくても後でちゃんとJALに伝えておきます」と彼は焦った顔をして言った。「『あとでやっておきます』ではこちらは困るんだよ。JALの電話番号はわからなくても、調べる方法くらいはあるだろ?今、ここで、そこにある電話機で、JALに電話をかけることはできるだろ?今すぐに確認をしてくれ」と彼に強く言って詰め寄ったが、「今、確認はできません。ですが、後でちゃんとJALには伝えておきます」と彼は言って、彼も飛行機がキャンセルになって他の乗客のこともあって忙しいので、「いい加減にしてくれ」という表情だった。しかし、「いい加減にしれくれ」と思ったのは僕と兄も全く同じだった。

 

明日、アムステルダム空港に行って、JALの人たちから「あなたたちはベルリンのテーゲル空港でフライトがキャンセルになったので、昨日の東京行のJALのフライトに乗れなかったのですか?本当ですか?それを証明できますか?」などと言われてしまったら、また1人当たり10万円近くを払って帰りのJALのチケットを買い直すことになってしまう。だから、僕は英語でかなり強い調子で「今、目の前でアムステルダムのJALの係員に電話をして確認してくれ!」と頼んだのだが、KLMの係員は「アムステルダムのJALの番号はわかりません。調べる方法もありません」と言うばかりだった。

 

僕は英語がまあまあ喋れたので、かなり強い口調でKLMの男性係員に「アムステルダムにいるJALの係員に確認をしてくれ」と頼んだ。男性係員は「後でちゃんと伝えておきます」と言ったので、とりあえず信じることにした。それで、アムステルダムに1日滞在した後に空港に行くと、東京行きのJALの便はビジネスクラスが用意されていた。KLMが差額を払ってくれたのだった。素晴らしい航空会社だった。(笑)

 

こういう押し問答が10分近く続いたが、とりあえず、KLMを信じることにして、KLMが用意した旧型のレシプロの飛行機でアムステルダムまで移動した。その飛行機はまるで第二次大戦の頃のB29爆撃機を少し大きくしたような旧式の飛行機だった。

でも、アムステルダムに着いてみると、当然、アムステルダムにホテルは予約してなかったが、KLM航空が手配してくれたホテルは1泊2万円くらいは取られるようなけっこう高級なホテルだった。それで、アムステルダム観光をしてから空港に行ってみると、東京行のJALの便はエコノミークラスの空席がなかったので、KLMが差額を払ってくれてビジネスクラスに乗ることができた。お陰で帰りの飛行機ではゲームをしたり、エコノミー以上のリクライニングとスペースでくつろぐことができて、飛行機の中で初めて熟睡することができた。KLMオランダ航空は素晴らしい航空会社だった。でも、これも僕がベルリンのテーゲル空港でかなり強い調子で詰め寄ったのが、かなり効果があったのかもしれない。(笑)