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ちょっとした笑い話「立売堀」

伊達政宗がとった大阪の陣での行動と目的とは? | 伊達政宗を学ぼう!出身や妻・子供・子孫出身や死因、名言など

 

 

大阪市の中央部に「立売堀」(いたちぼり)という地名があるのをご存知だろうか?「立売堀」と書いて(いたちぼり)と読むなんて随分と変な地名だな、と思う人が多いだろう。でも、僕は小学校6年生の時に西宮北口に住んでいたから、特に関西は奈良時代平安時代からの長い歴史のせいで変わった地名が多いことをよく知ってる。平城山(ならやま)、御陵(みささぎ)、河堀口(こぼれぐち)、中百舌鳥(なかもず)などは、関西人でも読めない人が多い。

 

 

今日の話はいつものように大文字でネタバレになるような説明を書くと、ブログがつまらなくなるので、説明は書かないから最後までよく読んでみてください。

 

 

それで、上岡龍太郎笑福亭鶴瓶が約50分間雑談をする様子をテレビで流すという「パペポTV」が上岡さんが引退するまであったが、その番組の中で上岡さんがこういう蘊蓄(うんちく)をたれていた。

 

「大阪の中心部に立売堀(いたちぼり)という地名があるやろ?」。ここまでは鶴瓶も「そうですな、ありまんな」と話についてきてた。でも、その後の上岡さんの博学にはついていけなかったようだった。(苦笑)

 

大坂冬の陣の後に大坂城の外堀を埋めることに決まって、東北の仙台の伊達政宗が率いる伊達藩が大坂城の堀を埋めた時に、『伊達家』という文字と家紋のついた旗を誇らしげに立てて、『東北の仙台の雄藩、伊達藩であるぞ』と大坂の町民にも言って、堀を埋める作業をしていた。ところが、当時の大坂人の中には東北地方の伊達家を知る人

など誰もおらず、”伊達”と書いて普通は”だて”とは読まずに”いたつ”と読むので、そのまま大坂人が誤解したまま『伊達堀』(いたつほり)という名前がついてしまった。それが歴史を経て漢字が変わって今の『立売堀』(いたちぼり)になったんや」

 

ここまで話を聞くと鶴瓶はいつものように笑って、「悔しいな~。ほんまに師匠は何でも知ってはりますな。僕も1回くらいそういう蘊蓄を披露して、『へ~、鶴瓶さんてすごい物知りなんだな』とか言われてみたいですわ」と言っていた。

 

それで、父が仙台の東北大学卒業で大手銀行員で大阪支店に勤務していた我が家の場合は、当然ながら後日談がある。

 

僕が昨日のパペポTVで上岡さんが言っていたことを、夕飯の時に父に言うと父は急に大声を出して、「あ~っ、そうか!だから、俺が大阪支店にいた時に名刺を渡して『私は仙台の東北大学法学部卒業です』と自己紹介をすると、大阪人の人たちは『仙台の東北大学卒業ですか。ということは、いたちさんの子孫ですね』と言う人がいたのか。なるほど、確かに伊達と書いて普通は”いたつ”と読んで、”だて”とは読まないからな。最近はテニスの伊達公子の活躍があって、伊達(だて)という名前も知れ渡ってるけど(当時は1990年代だった)、伊達という名前の有名人といったら伊達政宗くらいしかいないからな。やっと謎がわかったぞ」と言って嬉しそうな顔をしていた。

 

みなさん、特に関西在住の方で、この話を知っていた方はどれだけいるでしょうか?それにしても、上岡さんは本当に面白かったからもう少しテレビに出てほしかったです。