Deutschland-Lab

Deutschland-Lab

歴史や文化、スポーツなどドイツに関する情報まとめサイト

認知症で徘徊もする老人が長生きをして喜ぶ家庭はあるのか?

認知症の人はなぜ徘徊するの?原因と対策を詳しく解説! | 老人ホームの選び方ガイド

 

今はクリスマスが近づいているので、何か楽しいこ記事を書こうと思ったけど、思いついたのが2008年1月に認知症で徘徊もする母方の祖母が92歳で亡くなった時に、「やっと老人介護が終わった」と本音では思って喜ぶ気持ちがあったことなので、それについて書こうと思う。

 

 

僕の家でも母方の祖母が認知症を患って、約9年間家族は祖母の介護ですごく辛い思いをした。だから、徘徊する老人が無事に家に帰ることが出来ましたというニュースを聞くと、家族は本当に喜んでるのかなと疑問に思う。

 

 

2008年1月14日(だったかな?)の早朝に母方の祖母が亡くなった。しかし、先にも書いたように、1998年冬から認知症になって、一度寝てもすぐに起きてきて電気釜の中を見て、「明日のごはんあるの?」と質問をしたり、玄関をじっと見て、「お父さんもう帰ってきたの?鍵かけてしまっていいの?」などという質問を始めた。また、2005年頃には小便を祖母の部屋の床にしてしまったり、大便をしてそれをタンスに隠すとか、母が夕飯を食わせるのに午後6時半から食べ始めてやっと午後11時に食べ終わるという認知症の状態だった。

 

それで、当時は僕は母と祖母と同居をしていて、兄は父が建てた離れの家に住んでいたけど、当然、僕と兄も祖母の面倒を見たとお思うだろうけど、祖母は娘である母のいうことは聞いても、孫である僕と兄のいうことは「あんたたち、誰?知らない」とか、「あんたらの言うことなんか聞かないよ」と言って、母の命令しか受け入れないずに、僕と兄とは口を聞こうともしなかった。その前に、祖母が認知症になる前から、母の子供である兄、僕、妹の3人兄妹とはあまり仲が良くなかった。その理由は僕らが子供の時は父の転勤に伴って家族は東京から四国の松山までを引っ越して住んでおり、子供の時は祖母とは一緒に生活していなかった。その時は祖母は母の妹(僕にとっては叔母さん)の家族と一緒に住んでいた。だから、祖母にとってはかわいい孫というのは、叔母さんの子供たちだったと思う。

 

祖母はその後は10年以上は1人暮らしをしていて、夕飯を食べる時だけ僕の家族と一緒に飯を食べた。その後、僕の家族と一緒に生活をするようになったのは、父が敷地内に2軒あった家のうちの祖母が住んでいた古い家を取り壊して、3世代同居の新しい家を新築できるだけの金を貯めた時だった。だから、それが1997年の1月だから認知症になる前のまともな祖母と生活をしていたのは2年ちょっとだけである。だから、祖母は叔母さんの子供たちを好んでいて、母の子供である僕たちとは仲が良くなかった。

 

 

僕の家族と祖母が一緒に住み始めたのは僕を含む孫3人が全て20歳以上になった時だから、祖母と孫はあまり仲がよくなかった。だから、父が1999年に61歳の若さで胃癌で亡くなった時は葬式の時に倒れそうになるほど悲しかったが、祖母が亡くなった時は家族と親戚の中にも悲しんでる人はいなかった。

 

 

こんなふうに元々祖母とは仲が悪かったから、はっきり言うと、祖母が2008年1月に亡くなった時は「やっと介護が必要なおばあさんが亡くなってくれた。これでおばあさんの部屋を自由に使うことができる」と思って安心した気持ちの方がかなり大きかった。実際、葬儀屋さんが家に来て祖母の葬式の段取りの相談に来た時も、「1999年12月に父が61歳で急に胃がんで亡くなった時は悲しくて気分が悪くなったけど、今回の認知症で介護が必要だったおばあさんが亡くなっても悲しいというよりも、やっと介護が終わったという気持ちの方が大きいですね」と言うと、葬儀屋さんはニヤリと笑って、「認知症で介護が必要だった老人が亡くなった家の方々はみなさんそう言いますよ」と言っていた。そして、火葬場ではおばあさんが死んで悲しいという雰囲気はほとんどなくて、叔母さんの家族と僕の家族が和やかに雑談をしていた。他の火葬場にいた家族も年寄りが亡くなったと思える家族は、おそばやうな重などを出前でとって食べながら談笑したりしていた。まあ、90歳以上の老人が亡くなった家族というのは、やっと老人介護が終わって無事に送り出すことが出来たという感じで、あまり悲しんでいない家族が多いと葬儀屋さんは笑顔で言っていた。

 

 

2005年2月の寒い日に祖母が家の外に出たことがあって、その時は新聞配達の人が警察に通報して祖母は保護できたが、僕の心の中には「そのままどこかに行って凍死した方が、認知症の老人介護が終わって楽になれた」という気持ちがあった。認知症の老人がいる家族なら、こういう気持ちはわかると思う。

 

 

それで、僕の家の認知症のおばあさんも一度2008年1月に亡くなる前の2005年2月の寒い日に、何故か夜中に窓を開けて外に出てしまい、それを午前4時過ぎに新聞配達の人が見つけて仙台中央警察署に届けて、確かパトカーで仙台中央警察署に連れていかれたことがあった。その後、家に近所の交番から知らせがあったので、仙台中央警察署まで僕と母と兄の3人でおばあさんを迎えに行った。だが、その時に僕の心の中には「そのまま見つからずに外で凍死してくれたら認知症老人の介護が終わって、3人は楽になれたのに」という思いがあった。それは、やはり仕方のないことだった。

 

だから、ニュースで徘徊する老人を夜にジョギングしていた人、あるいは宅急便を配っていた人がすぐに警察に通報をして、無事に1キロ離れた実家に帰ることが出来た。数少ない良いニュースだ。などと報道しているが、徘徊する認知症の80歳を越えた老人が家に帰ってきて、喜ぶ家族はいるのかなと不思議に思う。残酷に聞こえるかもしれないが、実際は老人介護は家族崩壊を起こすすごく大変なことだから、認知症の老人が早く死んでほしいと思っている家族は多いと思う。残念だが、これが老人介護の現実である。