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サッカードイツ代表が抱える苦悩

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1990年に東西ドイツが統一されて、西ドイツ代表だけでも強かったのに、それにさらに東ドイツ代表の選手が加わるからドイツ代表はもっと強くなると思われた。

 

今日も今行われているサッカーヨーロッパ選手権に絡んで、サッカードイツ代表に関する記事を書きます。この記事は僕が10年ほど前に他のブログに書いたもので、それにちょっと新しく文章を書き足したものです。


 1989年の11月9日にベルリンの壁が崩壊して、1961年以来東西に分断されていたベルリンの自由な往来が可能になり、ドイツ再統一への動きが始まった。正式に再統一されたのは、1990年10月である。
 
 そして、その再統一を祝うかのように、西ドイツ代表は、1990年のサッカーワールドカップ、イタリア大会で世界一になった。この頃の西ドイツ代表はものすごく強かった。80年代のワールドカップでは常に決勝まで進み、ヨーロッパ選手権でも、ワールドカップでも、西ドイツがベスト4に残るのは当たり前だった。上の写真は1990年のW杯イタリア大会で優勝した時のドイツ代表。

 

90年代初めには、ベッケンバウアーとドイツのエースストライカーのクリンスマンが、次のようなことをインタビューで言っていた。
「ドイツは2度世界大戦に負けた。でも、そこから多くを学んだ。ドイツが大きな大会で常に勝ち上がるのは当然だ。ドイツの黄金時代がしばらく続くのは、間違いないことだ。それに引き換え、フランスなどはプラチニのようなスター選手がいながら、なかなかドイツに勝てない。」
 
このような自信たっぷりの発言には充分な根拠があった。
「西ドイツだけでもとても強かった。再統一後はこれに東ドイツの選手も加わる。ドイツサッカーの黄金期がしばらく続くのは当然だろう」
というふうに多くのドイツのサッカー関係者は考えた。そして、96年のユーロ王者になるまでは、確かにそのとおりだった。だが、その後、急速にドイツサッカーは弱くなっていき、2000年のヨーロッパ選手権では1次リーグで、信じられないような惨敗を喫した。
 

しかし、実際には資本主義メンタルの西ドイツ人と共産主義メンタルの東ドイツ人の間で代表チーム内で対立が始まり、東西が統一されたドイツ代表はチームが分裂状態になってしまった。

 

 これには、よく考えてみると、充分な理由があった。ドイツ再統一は、経済的に強かった西ドイツが共産主義の貧しい東ドイツを吸収するような形だったため、何人かの東ドイツ人は、ドイツ再統一の後、職を求めて豊かな西ドイツへと移住してしまった。
 
サッカー界でも、多くの才能のある選手が、ごっそりと西ドイツ、あるいは他のリーグの金持ちチームに引き抜かれてしまった。東ドイツの名門チームだった「ディナモ・ドレスデン」の主力選手、ザマー、キルステンなどはそのいい例であり、そのせいで東ドイツのクラブチームはあっという間に弱体化してしまった。今のドイツ代表キャプテンのバラックも東ドイツ出身で、才能を認められて西ドイツに引き抜かれた選手だ。
 
 
今シーズン(2010年シーズンのこと)のブンデスリーガ1部にいるチームも、旧西ドイツ地域のチームばかりであり、旧西ドイツのチームと対等に戦える旧東ドイツ地域のチームは、エネルギー・コットブスとハンザ・ロストックぐらいである。旧東ドイツの名門チームで、UEFAカップ上位進出の経験のあるディナモ・ドレスデン、ロコモティフ・ライプチッヒは悲惨な道を辿った。ドレスデンは資金不足問題からアマチュアリーグへの降格処分を受け、ライプチッヒは、一度、チームが消滅してしまった。2021年の今でもブンデスリーガの1部にいるのは、レッドブルという大手飲料会社がスポンサーについているRBライプツイッヒだけである。つまり、東ドイツの伝統的なチームでブンデス1部に残ってるチームは1チームもない。
 
 話を代表チームに戻すと、資本主義教育で育った西ドイツ人と共産主義教育で育った東ドイツ人が、同じナショナルチームでプレイするようになったので、当然、不協和音が生じ始めたのだった。東西統一後のドイツ代表の選手は、ピッチ上では一緒にプレイしていたものの、それ以外では、一部の例外を除くと会話すらしなかったという。一部の例外というのは、元東ドイツの選手でも、上手く西ドイツ人と付き合っていた選手が何人かいたからである。

 

サッカー選手だけでなくて、西ドイツ人と東ドイツ人のサポーターも仲が悪かった。東ドイツ人のサッカー選手が活躍して勝つと、「今日は西ドイツ人の選手は何もしてなかった」などとネットに書き込んだりしていた。

 

サッカー選手だけでなく、旧西ドイツサポーターと旧東ドイツサポーターも仲が悪く、ドイツ代表が勝った時でも、
「今日は東ドイツ人のザマー、キルステンの活躍で勝った。西ドイツの選手は何もしていなかった。特にバイエルンの選手は寝ていたようだ」
などと言う東ドイツ人がかなりいた。旧東ドイツ地域では、金満の西ドイツチーム、特に、バイエルン・ミュンヘンはものすごく評判が悪く、バイエルン会長のベッケンバウアーのことを、
「ファシスト、ヒトラー」
などと呼ぶ東ドイツ人もいる。
 
 
例として、東ドイツ人がどれほどドイツ代表にいたかを、2002年の日韓W杯の時のドイツ代表の中で挙げてみることにする。
 
バラック、シュナイダー、イェレミース、リンケ、ヤンカー、ベーメ、レーマー。23人の代表選手のうち、この7人は東ドイツ出身。このうち、バラック、シュナイダー、イェレミース、リンケの4人はほぼ全試合に出場した。しかし、所属していたのは、バイエルン、レバークーゼンというふうに西ドイツのチームだった。だから、旧東ドイツ人が不愉快なのは当然かもしれない。
 
 

このような東西ドイツ国民のサッカー界での対立は最近まで続いていたし、今も続いているかもしれない。だが、2006年のドイツでのワールドカップ以降、だんだんと収束されつつあるようにも思える。
 
その大きな理由は、2006年のW杯が東ドイツの都市、ライプチッヒでも開かれたこと。それ以外の理由というのは、最近のドイツ代表の選手は東西ドイツを越えて、外国からの移民の選手がかなり増えたということ。
 
例えば、2014年にブラジルW杯で優勝した時のメンバーだと、クローゼ、ポドルスキー、ケディラ、エジル、ボアテング、ムスタフィというふうに、外国生まれの移民の子供がかなり増えた。それにより、段々と、東西ドイツの違いはあまり拘らないファンが増えたように思える。

 

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今のドイツ代表チームでは、東西ドイツの対立は解消されたが、トルコ、アフリカ諸国からの移民系選手が多いので、ドイツ系選手と移民系選手の対立が問題になってる。例えば、トルコ出身の選手たちはイスラム教徒なので宗教が違うなどの問題。

 

 

しかし、この移民が多いドイツ代表チームというのが、また新しい問題になっている。2018年のロシアW杯ではドイツ代表はW杯で初めてグループリーグで敗退したが、その大きな原因はトルコ出身のエジルとギュンドアンが、トルコ大統領を親善訪問して記念撮影をしたこと。トルコのエルドアン大統領というのは、独裁者的な大統領であり、ドイツの政治家とドイツ国民から嫌われてるのに、ドイツ代表の2人の選手がこの大統領と笑顔で記念撮影をしたのである。左翼思想のドイツ語国民の中には「2人をドイツ代表から外せ」などと苦情を言ったが、重要選手なのでレーヴ監督は2人を代表に残した。

 

それ以外にもケガから治ったばかりのノイアーを正GKでW杯で起用したこと、他のチームに戦術を研究されてるレーヴ監督を引っ張り続けたこともあって、ドイツはロシアW杯ではグループリーグで敗退した。今のドイツは2014年にブラジルW杯で優勝した時に比べると明らかに弱いが、多くの国からの移民選手が原因でチームが空中分解することもある。写真上は2018年のW杯でグループリーグで敗退して、落胆するドイツ代表選手たち。2014年の大成功からたったの4年で、地獄に落ちてしまった。

 

それで、もし現在のドイツ代表のキャプテンであるGKのノイアーが「移民出身の選手が多いので、まとめるのに苦労する」などと言ってしまうと、「人種差別的発言だ」などと言われて非難されるのである。移民が多いチームをまとめるのは、本当に大変なことだと思う。このような移民の選手を原因とする問題はドイツだけではなくて、イングランド、フランス、オランダなどの他の移民が多い代表チームも多くの問題を抱えているようである。

 

 

以上、今回のブログ記事ではドイツ代表について東西ドイツの対立問題から始まって、移民出身の選手をまとめる難しさについてまでを書いてみました。