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元西宮市民が言うが、関西人=阪神ファンは単純すぎる

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今日も僕の人生であった出来事の中から、面白かったこと、気づいたことについて書こうと思います。別にドイツに関する記事がネタ切れになったわけではありまんせん。ドイツに関する記事はこれからも書きます。(苦笑)

 

 

僕の家族は父が銀行の大阪支店に勤務していた時に、阪急ブレーブスの西宮球場の近くに住んでいた。だから、西宮市だけど阪神タイガースファンは少なかった。

 

 

僕は父が転勤族だったので、小学校卒業までは全国各地に住んでいたので、小学校6年の時は西宮に住んでいたことは僕のブログの読者の方、あるいは僕の過去の記事を読んだことがある方なら知ってるだろう。それで、阪神タイガースの本拠地である甲子園球場がある西宮市の市民だったから、地元の阪神タイガースのことをけっこう冷静に見ていた。だから、関西人が熱く阪神タイガースについて語っているとちょっと滑稽に思えることがある。写真上は甲子園球場で盛り上がる阪神ファン。  

 

僕が西宮市に住んでいたのは昭和55年(1980年)から翌年なのだが、当時は西宮市には阪神タイガースと阪急ブレーブスという2つのプロ野球チームがあった。だったら、僕の通っていた瓦木小学校には阪神ファンが多かったのではと思うだろうが、昔の地図を見ればわかるが、瓦木小学校のすぐ近くに西宮北口駅があり、駅の真ん前には阪急ブレーブスの本拠地の西宮球場があり、駅の中には「ようこそ、阪急ブレーブスの西宮球場へ」という宣伝があって、阪急ブレーブスのスター選手の写真が飾られていた。さらに、小学校の中には「阪急ブレーブスこども会」とかもあったのでかなり阪急ファンが多かった。それで、僕自身は前のブログ記事に書いたように父と近鉄電車に乗って吉野に行った時に、近鉄特急に乗ったら近鉄特急が大好きになったので、当然ながら近鉄ファンになった。当時は西本監督でマニエルが近鉄にいて1979年80年と近鉄がパリーグを連覇しており、近鉄ファンになったのも当然だった。

 

小学校にいた阪神ファンは、「阪神は阪急に比べると親会社が貧乏でフロントがおかしい。選手が頑張ってプレイしてもフロントがおかしいから、優勝できない」と言っていた。

 

一方、小学校にいた阪神ファンがよく言っていたのは、「タイガースが優勝するためには身売りをするしかない。阪神電鉄という中小企業がオーナーである限り優勝はできない」ということだった。これは、関西在住の人か鉄道マニアならよくわかるだろう。昭和時代から平成前期の阪神電鉄というのは、まだ「阪神なんば線」がなくて近鉄と相互乗り入れをしておらず、線路の総延長は私鉄大手15社の中で一番短かった。「金持ちの阪急電鉄がタイガースのオーナーだったら、タイガースは巨人に勝って優勝できるはずだ」という声もあった。特に西宮市民は金持ちの阪急電鉄と貧乏な阪神電鉄の資金力の差をよく知っているので、そのようなことを言う人が多かった。西宮球場の近くに住む市民は「人気だけのタイガース、実力のブレーブス」と言っていた。

 

写真下は、かつて阪急西宮球場があった所に建っている西宮ガーデンスの中に飾ってある西宮球場の模型。西宮ガーデンスに行ったことのある人なら、見たことがあるだろう。

 

 

もう一つの阪神の大きな問題として、PL学園、大阪桐蔭などの地元のアマチュア選手が阪神に入りたくないという問題がある。これは阪神のフロントがおかしい、阪神ファンが乱暴すぎるなどの理由がある。

 


もう一つの大きな問題として、地元の関西のアマチュア選手が阪神タイガースに入りたがらないということがある。関西の名門野球高校のPL学園、大阪桐蔭、智弁和歌山、天理、報徳学園などで甲子園で活躍した選手はそのほとんどが阪神には入っておらず、なぜか、掛布、田淵、新庄のように関西以外の地域で育った選手がタイガースの主力選手になっている。

これについては、西宮市内にある報徳学園出身で夏の甲子園の優勝投手になった金村が、「僕は宝塚市に住んでましたが、小学校の頃に甲子園球場に阪神の試合を見に行って、負けた後に阪神の選手たちが凄まじいヤジをファンから浴びるのを見て阪神に入るのはやめようと思った。試合が終わった後に選手が駐車場に止めてある車に乗ろうとすると、駐車場の外に怖いファンがたくさんいてボロクソに選手をヤジってました。それを見て、阪神はファンが怖いから入るのは止めようと思った」と言っている。ファンが熱狂的すぎて怖いということについては清原(PL学園→巨人)、田口(関西学院大→オリックス)、池山(市立尼崎→ヤクルト)なども同じことを言っている。


あと、決定的なのはフロントがお金がないので不可解なトレードをすることが多いから。1975年のオフに江夏は江本とトレードされて南海に行き、1978年オフには田淵は真弓、若菜らとのトレードで西武に行き、1992年オフに野田は松永とのトレードでオリックスに行った。そして、どの選手も阪神から出た選手は活躍して、阪神に入ってきた選手は失敗している。江本は「ベンチがアホやから」と首脳陣とフロントを批判する正論を言ってクビになり、江川事件で江川の代わりに阪神に来た小林は、1983年オフにまだ活躍できたのになぜか引退している。松永はFA権を取ったらダイエーに行ってしまった。

1985年には4月にバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発があり、そのまま勢いに乗ったこともあって球団創設以来の初めての日本一になった。だが、当時、仙台に引っ越していて高校生だった僕は阪神の地元の様子をよく知っているので、仙台の阪神ファンの友達に「阪神黄金時代はそんなに長くは続かない。元西宮市民だから知っているけど、親会社の阪神電鉄のフロントが貧乏で、おかしな選手起用とトレードばかりするから、阪神はまた弱小チームに戻るだろう」と言った。阪神ファンの友達は苦笑いをしていたが、1987年シーズンにはチームは崩壊状態になって、1988年にはバース、掛布、岡田が開幕の時にはいたのにバースはアメリカに帰り、掛布はシーズンオフにまだ34歳の若さで引退をした。

阪神が85年にすごく強かったのに2年後にはすぐに崩壊した原因は、やはり、阪神電鉄がライバル巨人の親会社の読売新聞に比べると資金力が半分くらいしかないので、主力選手の年俸が払えなくなったからだろう。その後は主力だったオマリーをヤクルトに放出したり、せっかくオリックスでFAから取った石嶺を上手く起用できなかったりと、1990年代の阪神暗黒時代には不可解な選手起用が多かった。これについては、銀行の大阪支店で勤務していて大阪の経済界に詳しかった父は、「阪神電鉄の資金力ではオマリー、石嶺などの高額選手の年俸が払えなくなったから」と言っていた。

2002年には星野が監督となって、日ハムから片岡、広島から金本、メジャーから伊良部というふうに多くの選手を取ってきて、やっと、2003年に阪神は優勝したが、日本シリーズではダイエーに3勝4敗で負けて日本一にはなれなかった。でも、この頃は近鉄バッファローズが消滅するとか、村上ファンドが阪神電鉄を買収するというニュースも出ていたので、流石に阪神電鉄の首脳部も危機感を持ってチーム経営をしたのだろう。

それで、村上ファンドに買収されないために、阪神電鉄はなんとライバルの阪急電鉄と合併するという裏技に出た。これには本当にビックリした。なにせ、大阪と神戸間では阪急と阪神の線路は競合しているから。(苦笑)

それで、阪急阪神ホールディングスが親会社となったタイガースはどうしたらよいのかというと、やはり読売巨人に勝つためにはFA宣言などをした大物選手を積極的に取りに行く必要があるだろう。しかし、なぜか、メジャーから帰ってきた松井稼頭央と西武でFA宣言をした浅村の2人は、関西出身なのに仙台の楽天に来ている。やはり、阪神は負けるとファンが怖いというイメージがあるのかもしれない。阪神ファンはもう少し大人しく行儀よくならないとね。(苦笑)


阪神ファンが多いのはけっこうなのだが、阪神阪急ホールディングはまだ旧阪急グループの方がタイガースの資本に参加してないから、あまり大型補強が出来てない。旧阪急グループも全力でタイガースを応援すれば、タイガースは日本一になれるだろう。

 

 

元西宮市民が阪神タイガースを厳しく批判してみた。でも、僕は仙台に住む楽天ファンだけどセリーグでは阪神を応援しているので、阪神には強くなってもらいたい。

 

ということで、阪神タイガースを色々と批判する記事を書きましたが、僕は仙台に住んでいるので楽天ファンですが、セリーグでは阪神を応援していています。金満巨人なんかよりも阪神に優勝してもらって、楽天対阪神の日本シリーズを仙台の球場で見てみたいです。でも、記事に書いたように監督と選手が頑張っても阪神はフロントが昔からおかしいので、フロントをなんとかしないと優勝と日本一は無理でしょうね。