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日露戦争の頃がマシだったかもしれないロシア

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ウクライナ戦争がまだ続いていて、ロシア軍によるウクライナ民間人への略奪暴行が続いてるので、それに関係する記事を書こうと思います。ウクライナ側の発表はフェイクニュースだという変なことを言ってる人がいますが、そんなネット荒らし行為の少数派の意見はどうでもいいです。

 

 

NHK大河ドラマ坂の上の雲」を見た人なら知ってるだろうが、日本海軍の広瀬中佐とロシア貴族の娘のアリアズナは日露戦争が終わったら結婚を約束していた。だが、広瀬が戦死したので約束は果たされなかった。

 

 

上の写真は、2011年末までに放送されたNHK大河ドラマ坂の上の雲」のワンシーン。藤本武夫が演ずる日本海軍の広瀬中佐と、彼がロシアに滞在していた時に恋人となったロシア人女性のアリアズナ・コバリスカヤ。演じているのはロシア人女優のマリーナ・アレクサアンドロノバだが、彼女のウクライナ戦争開戦後の消息は知られてない。広瀬とアリアズナは日本とロシアの戦争が近づいているのにもかかわらず恋に落ちて、2人は日露戦争が終わったら結婚することを約束したが、広瀬が旅順港閉塞作戦で戦死したので、その約束は果たせなかった。広瀬の死体は旅順の砂浜に打ち上げられて、ロシア軍は騎士道精神をもって広瀬の死体を丁寧に葬った。広瀬がロシア滞在していた時に友達だったコバリスキー少佐も葬儀に参列して涙を流し、コバリスキー家は広瀬と交流があったので広瀬の戦死は悲しみを持って受け止められて、フィアンセだったアリアズナは喪に服した。

 

このようなロシア帝国時代の事実を書いてみると、今のウクライナ戦争でのロシア軍の略奪暴行行為からはとても想像できないようなロシア軍人の騎士道精神である。そして、日露戦争の頃には日本軍側には武士道精神がまだあって、日中戦争と第二次大戦時の日本軍の残酷な戦争犯罪行為からは考えられないような立派な軍隊だった。

 

 

日露戦争後に作られた「水師営の会見」という歌の歌詞でもわかるように、日露戦争の頃には日本軍には武士道がロシア軍には騎士道があった。

 

 

その一つの例が旅順要塞が陥落して、日本軍側の司令官の乃木大将とロシア軍側のステッセル中将が会見した時の様子を描いた「水師営の会見」という歌である。こちらがその歌詞。途中までを紹介する。

 

旅順開城 約成(やくな)りて
敵の将軍 ステッセル
乃木大将と会見の
所はいずこ 水師営

庭に一本(ひともと) 棗(なつめ)の木
弾丸あとも いちじるく
くずれ残れる 民屋(みんおく)に
今ぞ相見る 二将軍

乃木大将は おごそかに、
御(み)めぐみ深き 大君の
大みことのり 伝(つと)うれば
彼かしこみて 謝しまつる

昨日の敵は 今日の友
語ることばも うちとけて
我はたたえつ かの防備
かれは称えつ わが武勇

 

日本軍側は武士道精神をもってロシア軍をもてなし、ロシア軍側は騎士道精神をもって日本軍側の接待に応じたことが書かれている。このような日本軍の武士道精神、ヨーロッパの軍隊の騎士道精神というのは、第一次大戦終戦の頃まで世界にはあった。それが、ロシアではロシア革命の時にロシアの貴族階級が革命で粛清されたことによって失われ、日本でも1931年に満州事変が起こった頃から武士道精神は失われて、中国大陸に進出をして現地の中国人に略奪暴行を働くようになった。

 

 

日本の武士道もロシアの騎士道も第二次大戦の頃には完全に失われたが、少なくとも日本は戦争に負けたので戦後に戦争の失敗を検証して平和な国となった。

 

 

日本人は第二次世界大戦の後に世界大戦に負けたということで、よく反省をして謝罪もして第二次世界大戦時の日本軍の犯罪を特集する本、テレビのドキュメント番組も作っているが、問題なのはロシア側の方であり、第二次世界大戦戦勝国となった旧ソ連は、ソ連軍が占領したウクライナを含む東ヨーロッパ各地にソ連兵の銅像と記念碑を建てて、5月9日には戦勝記念の軍事パレードまで行っている。それに北方領土を日本が降伏を表明した8月15日以後に占領して、今ではプーチン政権は「北方領土問題など存在しない」と言って、北方領土を返還する気は全くない。

 

 

第二次大戦の勝者となったソ連はその後も軍拡を続けて、ソ連が崩壊をしてロシアになった後もソ連の失敗を検証しなかったので、今のウクライナ戦争での残虐な行為につながってる。

 

 

第二次世界大戦戦勝国となったソ連国際連合常任理事国となって驕り高ぶって、ソ連が崩壊してロシアになった後もソ連時代の失敗の検証は全くしなかったので、それが今のウクライナ戦争へと繋がってしまった。ウクライナ戦争は「大ロシア主義」への回帰の始まりだと思うが、少なくとも日本とロシアの関係においては皇帝と貴族がロシアを統治していたロシア帝国の方がかなりマシだったと思う。でも、一方でロシア帝国時代にはユダヤ人を虐待していたり、ポーランドフィンランドを武力で占領していたり、ヨーロッパ方面ではロシア帝国はかなり問題も多かったのだろうけれども。とにかく、ロシアの場合はロシア帝国時代の皇帝と貴族が国を治める政治から、一気に労働者が国を治める共産主義へと劇的に変わってしまったのが大失敗の始まりだったようだ。