- 5月9日のヨーロッパ戦勝記念日(VEデイ)というのは、ロシにとってはクリスマス以上にお祝いをする重要な祝日らしい。モスクワの赤の広場では毎年この日には、盛大な軍事パレードが行われている。
- 僕は2006年7月にソ連軍を含む連合軍が勝利をして、ナチスドイツ軍の代表が降伏文書に調印をしたベルリン東部にある「ロシアドイツ博物館」に行ったことがある。そこには、旧ソ連軍の栄光の歴史が展示されていた。
- 降伏文書調印[編集]
5月9日のヨーロッパ戦勝記念日(VEデイ)というのは、ロシにとってはクリスマス以上にお祝いをする重要な祝日らしい。モスクワの赤の広場では毎年この日には、盛大な軍事パレードが行われている。
もう少しで5月9日で、ロシアにとっての対ナチスドイツ、ヨーロッパ戦勝記念日になる。プーチン大統領とロシア政府高官はかねてから、「5月9日の戦勝記念日には、ウクライナでの戦争について何らかの新し動きを起こす」と宣言している。何を起こすのかはまだよくわからないが、最悪の場合は苦戦しているウクライナでの戦争で戦術核兵器を使用して、今よりももっと本格的な戦争にするかもしれない。もちろん、こんなことは誰も考えたくはないが。
僕は2006年7月にソ連軍を含む連合軍が勝利をして、ナチスドイツ軍の代表が降伏文書に調印をしたベルリン東部にある「ロシアドイツ博物館」に行ったことがある。そこには、旧ソ連軍の栄光の歴史が展示されていた。
上の写真は僕がベルリン東部にある「ロシア・ドイツ博物館」に2006年7月に行った時に撮影した写真だが、この博物館内のこの部屋で、ドイツ時間の1945年5月8日午後23時に、ナチスドイツ軍代表のヴィルヘルム・カイテル元帥が降伏文書に調印した。だが、ソ連(今のロシア)のモスクワ時間では時差の関係で5月9日の午前1時になった。だから、VEデイ(ヨーロッパ戦勝記念日)は西ヨーロッパ諸国では5月8日だが、ロシアでだけは5月9日になってる。
降伏文書調印[編集]
1945年5月7日午前2時41分、フランス・シャンパーニュ地方のランスにあった連合国遠征軍最高司令部 (Supreme Headquarters Allied Expeditionary Force, SHAEF) で、フレンスブルク政府のカール・デーニッツ元帥から降伏の権限を受けたドイツ国防軍最高司令部作戦部長アルフレート・ヨードル上級大将が連合国軍司令長官ドワイト・D・アイゼンハワー元帥とドイツの降伏文書に調印した。文書での停戦発効時刻は中央ヨーロッパ時間で5月8日23時01分となっていた。文書にはソ連軍代表のイワン・ススロパロフ大将が証人として署名している。正式な降伏文書調印はここで成立した[2]。イギリスは当時西ヨーロッパ夏時間をとっていたため、停戦時刻は5月9日0時01分にあたる。
しかし連合国側は、第一次世界大戦のヴェルサイユ条約がドイツ国民に受け入れられず、「背後の一突き」伝説を生み出してナチ党の台頭を招いたことを繰り返す可能性を感じていた。このため連合国は戦場での降伏文書だけでは足らず、降伏文書の批准文書が必要であると考えた。この調印を行う人物は陸海空軍三軍の最高指揮権を持つ人物、ドイツ国防軍最高司令部総長ヴィルヘルム・カイテル元帥でなければならないと考えられていた[3]。ソ連側は調印式にアイゼンハワー元帥の参加を要請したが、かわりに副司令官でイギリスのアーサー・テッダー元帥を派遣した。
5月8日、ベルリン市内のカールスホルストにおかれた赤軍司令部(ドイツの工兵学校兵舎を利用した)にカイテル元帥らドイツ代表が到着した。調印式は同日正午すぎに予定されていたが、夜半までずれ込んだ。これは調印文書をロシア語訳するのに時間がかかったという技術的理由があったからという説[4]と、連合軍側証人として参加する予定だったフランスのジャン・ド・ラトル・ド・タシニー大将が正式代表として調印に参加する事を要求したためであったという説[5]がある。後者の説では証人の署名欄を代表のすぐ下にして準代表としての形を整える事でド・ラトルも承諾したとされる。
2005年5月9日のVEデイの軍事パレードには、小泉首相、ブッシュ大統領夫妻、シラク大統領夫妻、シュレーダー首相夫妻までもがプーチンに招かれて出席していた。今では信じられない光景である。
こちらがロシアとウクライナを含む旧ソヴィエト連邦諸国での、ヨーロッパ戦勝記念日のお祝いの様子の説明。今、ロシアと戦争をしているウクライナでも祝賀会が行われている日である。
日本の最近の報道によると、特にロシアにおいてはクリスマス以上の最大の祝賀会が行われて、各国首脳が参加する大規模な軍事パレードがモスクワの赤の広場で行われる。このロシアの戦勝記念日の軍事パレードには、2005年には日本の小泉首相とアメリカのブッシュ大統領夫妻も参加していて、プーチン大統領とパレードを見ながら談笑するという、今では信じられない光景が見られた。
上の写真が2005年5月9日のロシアのVEデイ軍事パレードの様子で、プーチン大統領と共に、敗戦国ドイツのシュレーダー首相夫妻、フランスのシラク大統領夫妻、アメリカのジョージ・W・ブッシュ夫妻の姿が見える。今のウクライナ戦争の状態を見ると、とても信じられない光景である。写真には写ってないが、国連事務総長のアナン氏、ユネスコ総裁などの国連の主要人物までが参加したという、壮大なソ連軍の勝利を祝うパレードだった。
2014年2月のロシアによるクリミア併合以後は、NATOに加盟する西側諸国は再びプーチンのロシアを警戒するようになった。でも、2005年の頃からウクライナ問題だけは、ロシアにとってはタブーの話題だったようだ。
ところが、このように西側に資本主義国と着実に協調をしながらロシアの経済成長を目指していたはずのプーチン大統領の率いるロシア連邦が、急に態度を変えたのが2014年2月のクリミア併合とウクライナ危機である。この時から急にプーチンの率いるロシアはNATOに所属する西側諸国とウクライナのNATO加入を巡って対立するようになり、今のウクライナ戦争に至ってる。できれば、もう一度、ロシアのプーチン大統領は2005年の頃に戻ってウクライナから手を引いてほしいが、2005年頃でもプーチンとロシア高官は、ウクライナ問題に話が及ぶと急に表情と態度が硬くなり不機嫌になったというので、かなり難しいことなのだろう。