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ほとんど役に立たなかった戦艦「大和」と「武蔵」

呉にある「大和ミュージアム」に展示されている1/10のスケールの戦艦「大和」の大きな模型。僕は2011年11月にここを訪れた。

 

 

広島県呉市には戦艦大和を説明している「大和ミュージアム」があるが、僕は戦争大和があまり好きではない。子供の頃から日本海軍ファンだが「戦艦大和と武蔵」という本を読んだ時に、「あまり活躍しなかった」という事実を知ってがかかりしたからである。

 

 

呉に戦艦大和の大きな模型を中心として展示してある「大和ミュージアム」があって、戦艦大和の歴史が説明されている。だが、ここを訪れる人たちは戦艦大和がほとんど役に立たなかったことを知って、ガッカリする人が多いと思う。

 

僕自身も小学生の頃から日本海軍のファンではあるが、あまり戦艦大和と姉妹艦の武蔵が好きではない。戦艦大和と武蔵は46センチ砲を装備した超巨大戦艦でありながら、レーダー照準射撃装置、測定器などの科学系兵器の装備が明らかに時代遅れであり、大和は昭和16年12月に完成して、武蔵は昭和17年8月に就役しながら、昭和17年8月から始まったソロモン海とニューギニアを巡る一連の激しい海戦には一度も参加できなかった。 参加出来なかった理由は、海軍の主要兵器となった空母は、25ノットから30ノットという速度で航海をして遠くから敵艦を攻撃できるが、大和型戦艦は速度が27ノットしか出ないので、空母機動部隊の足かせになるだけだからである。

 

それに、米軍戦艦は30ノット以上の高速でレーダー照準装置も備えているので、夜戦でも米戦艦に勝てる自信がなかたのだった。 だが、もっとも大きな理由は大和型戦艦は莫大な量の燃料を消費するので、大和武蔵をソロモン海の海戦に参加させるだけの十分な燃料がなかったことである。だから、大和は連合艦隊の旗艦としてソロモン海で激戦が行われてる頃に、トラック島から日本内地を低速で往復するだけの日々を過ごしたので、「大和ホテル」などと皮肉を言われていた。

 

それでやっと米軍がフィリピンに上陸した時に、昭和19年10月末に行われたレイテ沖海戦から本格的な海戦に大和武蔵は参加したが、武蔵はほぼ初陣の戦いでシブヤン海で米空母郡から発進した航空機の攻撃で沈没して、大和はサマール沖海戦で米護衛空母を2隻大破させただけの戦果で終わってしまった。

 

その後は軍事マニアなら知ってるように、死に場所を求めて大和は沖縄特攻に参加して鹿児島県沖で沈没した。あまり活躍しなかったことから、戦艦大和と武蔵は「昭和の3大バカ査定」の一つと言われている。残りの2つは整備新幹線青函トンネルである。 だから、僕のような海軍マニアから言わせると日本海軍関係の博物館なら「日本海ミュージアム」を作って、真珠湾攻撃から始まる日本空母機動部隊の活躍を展示した方がよかっただろう。

 

 

日本海軍の軍艦の中で、太平洋戦争中に最も敵艦を沈めたのは空母瑞鶴と翔鶴である。この2隻は戦争末期に沈められるまでに、敵空母レキシントンとホーネットを沈めて、それ以外の海戦でも常に主役だった。

 

 

日本海軍の軍艦で最も敵艦を沈没させたのは、空母「瑞鶴」「翔鶴」の2隻である。この2隻は真珠湾攻撃に参加したのを皮切りに、珊瑚海海戦、ミッドウェイ海戦には参加できなかったが、その後のソロモン諸島を巡る海戦に参加して、昭和19年6月にはマリアナ沖海戦にも参加した。ここで「翔鶴」は沈没して、「瑞鶴」はその後の昭和19年10月に行われたレイテ作戦を支援するために、フィリピン北方で行われたエンガノ岬沖海戦で沈没した。しかし、この2隻はミッドウェイ海戦で「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」が沈んだ後も日本海軍を支え続けて、敵空母「レキシントン」「ホーネット」の2隻を沈めて、それ以外にも多くの敵艦を沈めている。ちなみに、アメリカ海軍の正規空母を沈めた海軍というのは、日本海軍だけである。

 

 

戦艦大和は皮肉なことにも、それまでの大艦巨砲主義の終わりを証明する戦艦になってしまった。日本海軍は空母を集中して運用して敵艦を沈める研究を進めながら、大艦巨砲主義の考えを捨て切れずに戦艦大和と武蔵を作ってしまった。

 

 

戦艦大和は皮肉なことにも、それまでの大艦巨砲時代の終わりを自ら証明することになってしまった悲劇の巨大戦艦である。日本海軍は日清戦争日露戦争での海戦での戦艦同士の撃ち合いに勝利した経験から、しばらくは大艦巨砲主義の考えから抜け切れることができずに戦艦大和武蔵を建造したのだが、この2隻が建造中にヨーロッパではドイツ軍が電撃作戦という、陸と海での戦いを空から空軍が援護するという新しい戦い方を始めており、制空権なき所ではどの軍隊も勝てなくなってしまった。ヒトラーが自慢していたドイツ海軍戦艦ビスマルクも、制空権がない大西洋で戦わせるというふうに使い方を間違ったので、イギリス空軍機の魚雷攻撃で損傷した後に英海軍の軍艦に包囲されて沈没してしまった。

 

日本海軍も戦艦大和が完成した頃に真珠湾攻撃を行い、その後も南雲中将が率いる日本空母部隊は大活躍を続けて、ミッドウェイ海戦で4隻の空母を失うまでに大戦果を挙げた。先にも書いたようにその一方で戦艦大和武蔵は燃料を使いすぎる、米軍が制空権を握っている海域では米爆撃機に沈められる恐れがあるなどの理由から昭和19年10月のレイテ沖海戦まで海戦に参加できなかった。日本海軍は空母部隊運用の研究を進めながら46センチ砲を装備した大和武蔵を建造するという、全く矛盾したことをしてしまったのだった。