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僕の友達と父がすごいケンカをしたことがあった

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今日書く僕の昔の思い出話は僕がまだ大学生で、東京の吉祥寺にあった父が勤務する銀行の社宅アパートに、父と兄と一緒に住んでいた時に本当にあったことです。

 

 

僕は東京の某私立大学に通っていた時に、吉祥寺にある銀行員の父の社宅アパートに僕と父と兄の3人で住んでいた。その家にある日、上智大学に通うYという中学校以来の友達が遊びに来た。

 

 

僕は大学時代はMARCHのどれかの大学に通って、中央線沿線の吉祥寺に父と兄と一緒に住んでいた。それで、東京都心の新宿、渋谷などからけっこう近いからよく友達が遊びに来た。ある日、上智大学法学部に通う中学校と高校時代の友達Yが夕方から遊びに来た。午後9時頃からは中学校時代に同級生だった仙台に住む女子生徒に電話をかけて遊んでいた。宮城県は今から20年ほど前までは公立高校でも男女別学が多かったので、僕とYは中学校と公立男子校の進学校で一緒だったのだった。

 

 

Yは夕方に僕の家に遊びに来たが、午後10時近くになっても仙台に住む中学校で同じクラスだった女子の家に遠距離電話をかけていた。当然、父は「もう10時だから電話を切りなさい」と言ったが、Yは父の言う事を聞かなかった。

 

 

午後10時近くになっても、僕が電話番号を知っている中学校でクラスが同じだった女子生徒の家に電話をかけていた。すると、当然ながら襖えを隔てた隣の部屋でテレビを見ていた父が、

「T(僕のこと)、もう10時で向こうの家に迷惑になるから、仙台に遠距離電話をかけるのはやめなさい。」

と僕らを注意した。それで僕は友達のYに、

「親父がああ言ってるからもう仙台に電話するのはやめようぜ。親父のいうとおりで午後10時に遠距離電話をかけるのは非常識だぞ」

と僕はYにやめるように言った。すると、Yは信じられないことを言ったのだった。

 

「お前は親父にあんなことを言われたくらいで、女の家に遠距離電話をするのをやめるのか?時間なんか関係ないからじゃんじゃん電話しようぜ」

バンッ!と襖が開いて、鬼の形相をした父が仁王立ちをしていた。

「なんだ、お前は!?人様の家にきて人様の電話で高価な遠距離電話をかけまくって、そんな非常識なことまで言って?頭がおかしいのか?それともお酒の飲み過ぎでおかしくなってるのか?おい、T、こいつはどこの大学の学生なんだ?」

上智の法学部だよ」

「ふ~ん、たまたま大学受験の時に運が良くて上智に入れたのかもしれないが、世の中に出れば上智卒なんて、ゴロゴロいるんだぞ!上智に入れたぐらいで天狗になるとは馬鹿な奴だな!」

「違うよ、Yは受験してなくて推薦で入ったんだよ」

「そうか、まあ、高校大学の勉強は何とかなっても、社会はそんなに甘くないんだぞ!」

 

この父の怒りに対するYの返答。服を来て身支度をしながら。

「はいはい、こんな東京の西の端にあるボロアパートなんか、二度と来ませんよ。俺は将来は東京の中心地に家を建てるから」

「なんだと、この野郎!お前の両親はどういう教育をしたんだ?!お前のような親不孝者を産んで、お前の両親は本当にかわいそうだな!T、こんな奴とは今すぐにここで絶交しなさい。こんな奴を駅まで送らんでもいい!」

Tは僕の腕を引っ張って、

「おい、G(僕のこと。友達は家族名で呼ぶから)、一緒に行こうぜ。こんなおじさんなんてどうでもいいよ」

と言って、僕はYと一緒に吉祥寺駅まで歩いて送っていったのだった。僕はこの2人のやり取りを見て、「Yは頭がおかしいのではないか?なんで、他人の家に来てその世帯主である父親を激怒させる行動をわざとしたのだろうか?」と本当に不思議に思った。Yにそのことを聞いてみると、「別にあれくらいやってもかまわないだろ?それとも、お前はそんなに大人たちが怖いのか?」と、Yは笑いながら言っていた。

 

 

ところが、Yと父は大ゲンカをした後でお互いを理解したのだった。気が強くて優秀な男同士の場合は、この2人のようにケンカをした後にお互いを認め合うということがある。

 

 

その後、もっと驚いたことがあった。3日ほど後に朝飯は父が軽く料理をして用意してくれていたのだが、朝飯を食べながら父が笑いながら、

「この前来ていた跳ね返りがいたな。あれは何という名前だったかな?」

と僕に尋ねた。

「Yだよ。親父はあいつとは絶交しろと言っていたけど、絶交するつもりはないよ。中学校と高校が同じだった数少ない友達だから」。

「いや、絶交なんてしないでいいんだ。お父さんは彼が気に入ったぞ。若い時はあれくらい元気がある方がいいんだ。今度、彼とお父さんとお前の3人で赤坂辺りの料亭で夕食を食べないか?お父さんが奢ってあげるよ。お父さんが勝海舟みたいに、坂本龍馬みたいな彼の話をもっと聞いてみたいんだ」。

「そんなこと言ってるけど、親父はYに説教でもするんじゃないのか?」

「するわけないだろ。彼のように大人にケンカを売るくらいの度胸のある若者の方が、

お父さんにとっては面白い人なんだ。お前もな、彼みたいに目上の人とかを恐れていないで、ケンカを売ったりぶつかっていってもいいんだぞ」

こういうことを父は言っていた。

 

それで、Yに父が赤坂辺りの料亭で一緒に食事をしたいと言ってると電話で伝えると、Yの方も父がそういう反応をするのが当然という口調で、

「そうか、お前の親父さん、そんなことを言っていたのか。赤坂辺りの料亭で食事とかしてみたいしありがたいけど、もう少しで大学の試験があって忙しいから、来年の1月くらいまではダメだな」

と言っていた。

 

その後、僕の方も大学の試験があって色んな行事とかもあったし、父も年末の忘年会とか色んなことで忙しくなったので、結局、赤坂の料亭で3人で食事をすることは実現しなかった。でも、今でも父と友達のYが最初に大ケンカをしてから理解し合えたのかは、僕には自分が30代後半になるまではわからなかった。(苦笑)