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大日本帝国を崩壊させた軍務大臣現役武官制とは?

東條内閣 - Wikipedia

 

写真は昭和16年10月という太平洋戦争開戦直前に組閣された東條内閣だが、戦後のマスコミは「軍部の暴走が大日本帝国を崩壊させた」と、いつも戦前戦中を述べるドキュメント、報道で説明している。それでは、具体的にどのように軍部、特に陸軍が日本を崩壊させたのかを、「軍務大臣現役武官制」というキーワードを用いて説明する。

 

ja.wikipedia.org

 

こちらが軍務大臣現役武官制のウィキペディアの説明。

 

 

軍務大臣現役武官制とは、陸海軍大臣は現役軍人しかなれないという制度であり、この制度があると陸海軍の気に入らない首相候補者には大臣を出さないという方法で、新しい内閣を潰すことができるし、内閣から陸軍か海軍が大臣を引き上げるという方法で内閣を潰すこともできた。この制度が日本が軍国主義になった原因である。

 

 

この説明でも十分にわかると思うが、僕なりに説明しようと思う。軍務大臣現役武官制とは、陸軍海軍の大臣は現役の軍人に限るという制度であり、この制度があると予備役の海軍提督と陸軍の将軍、民間人は陸海軍の大臣にはなれない。陸海軍の大臣がいないのだから、つまり、大日本帝国において天皇が「次は〇〇に首相になってもらいたい」と希望して、戦前の日本において衆議院よりも力が強かった貴族院議員たちと元老も「〇〇が首相がいい」と決めても、陸軍か海軍が「〇〇は軍縮派で対中国対米英の態度が弱腰で嫌いだから、大臣を出さない」と言えば、〇〇氏が首相として組閣することが出来なくなった。これが、軍務大臣現役具武官制を利用して、日本が軍国主義になったという根拠になる。

 

 

実際に2・26事件の後に広田弘毅内閣も林銑十郎内閣も倒れた後に、天皇と元老たちはかつて軍縮を行って対中国慎重派の宇垣一成を首相にして陸軍を抑えようとしたが、陸軍は宇垣が首相になったら大臣を出さないと拒否したので宇垣は組閣が出来なかった。その後、弱気な近衛文麿が首相になった直後に日中戦争が始まったので、宇垣内閣流産は日本にとって大失敗だった。

 

 

実際に1937年2月に広田弘毅内閣が総辞職した後に、天皇と貴族院は2・26事件後に暴走を始めた陸軍を抑えるために、予備役陸軍大将で、大正デモクラシーの時に陸軍大臣として軍縮を行い、対中国、対米英の態度も慎重派で、国民からも人気のあった宇垣一成陸軍大将に組閣を行わせると決めていた。ところが、石原莞爾陸軍少将を中心とした陸軍内部の対中国対米英も強硬な態度で、「満州国を建国した陸軍が日本を導く」と主張をする陸軍強硬派が、「宇垣退役大将が首相になったら、陸軍からは大臣も「参謀総長も誰も人を出さない」と嫌がらせをしたので、宇垣内閣は流産した。

 

その後、陸軍が望んだ林銑十郎内閣を経て、国民にも軍隊にも人気があった華族出身で弱気な近衛文麿が首相となった。近衛首相が誕生してすぐに日中戦争の引き金となる盧溝橋事件が起こり、日中全面戦争となってしまった。だから、軍務大臣現役武官制がなくて、宇垣一成がもしも広田の後に首相になっていたら、盧溝橋事件は丸く収めることができたかもしれない、という歴史家からの日本陸軍と政府の批判があるのは当たり前のことだろう。

 

僕も日本の戦前、戦中、戦後の歴史にはまあまあ詳しいが、日中全面戦争の引き金となった盧溝橋事件が起こった時に、近衛文麿のような弱気な首相よりも宇垣一成のようなカリスマがあって経歴も申し分ない人物が首相だったら、日中戦争は避けられた可能性があったと思う。

 

この軍務大臣現役武官制というのが、「特に日本陸軍が暴走を始めて日本を普通選挙制度があった民主主義国から軍国主義に導き、最後には米英との戦争になって国を崩壊させた」という、戦後のマスコミが作るドキュメントの根拠となっている。しかし、中国、さらにその後の米英との戦争で、戦果があがる度に号外まで出して国民の戦意を高揚させたマスコミにも、戦争責任は絶対にある。