- 「ザ・プレイヤー」という1993年封切のハリウッド映画は、ハリウッドの映画会社の重役が殺人事件を犯してしまうシナリオをメインにして、映画会社ではいかに娯楽映画がメインに作られるかという過程が描かれている。1回目の試写会で評判が良くないと、俗受けするように配役、シナリオが変えられることも描かれている。
- ストーリー
「ザ・プレイヤー」という1993年封切のハリウッド映画は、ハリウッドの映画会社の重役が殺人事件を犯してしまうシナリオをメインにして、映画会社ではいかに娯楽映画がメインに作られるかという過程が描かれている。1回目の試写会で評判が良くないと、俗受けするように配役、シナリオが変えられることも描かれている。
『ザ・プレイヤー』(The Player)は、1992年のアメリカ合衆国の風刺コメディ映画。ロバート・アルトマン監督。ハリウッドの映画製作の内幕を、殺人事件を軸に描く群像劇。カンヌ国際映画祭で監督賞や主演男優賞を受賞した。
実在の映画会社名、作品名、俳優の名がセリフに取り入れられ、実在の俳優も本人役で多数出演している。
僕は1993年春にこの映画が封切られた時にすぐに映画館に見に行ったが、この映画は殺人事件をテーマとしたシナリオだが、実際はハリウッド映画が重役たちによってどのように制作されるかがわかりやすく描かれている。この映画を見れば、なぜ、ハリウッドスタジオが作るアメリカ映画は娯楽作品が圧倒的に多くて、ヨーロッパ映画が制作するような現実の社会問題を描いた社会派の映画が少ないかがよくわかる。タイトルの「ザ・プレイヤー」とは、ハリウッド映画会社たちの重役たちを意味する。
こちらが、ウィキペディアの説明。
ストーリー
ハリウッドにある映画スタジオ。脚本担当重役のグリフィン・ミルは、駆け出しの映画脚本家たちによる脚本の持ち込みに忙殺される日々を送っていた。ある日を境に、ミルのオフィスに脅迫状まがいのハガキやファクシミリなどが届き続けるようになる。
ミルはスタッフの調査により、数か月前に追い返した若手脚本家、デイヴィッド・ケヘインこそが嫌がらせの主だと見当をつけ、スタジオ内の試写室に入り浸っているデイヴィッドに会う。ふたりは酒を飲み交わすが、デイヴィッドは、かねてよりミルが想いを寄せているアイスランド人の画家の女性・ジューンが自分の恋人であることを明かし、ジューンに近づかないよう警告する。このことから、帰り道に喧嘩となり、ミルは誤ってデイヴィッドを殺害してしまう。
翌日以降、ミルは何食わぬ顔で仕事を続けようとするが、デイヴィッドと最後に会った人物がミルであることをスタッフたちがすでに把握していたため、疑いの目を向けられながら過ごすことになる。新任の有能な重役・リーヴィの台頭にも悩まされる。さらに、ミルのもとに「俺はまだ生きている」という新たな脅迫状が届く。
やがてミルはリーヴィを追い落とすため、オークリーによる、決してよいとはいえない脚本を、ヒット確実の企画だとしてリーヴィに押し付ける。また、恋人である秘書のボニーをないがしろにし、ジューンと恋仲になっていく。ジューンとのデートでの会話で、ミルは映画に不可欠な条件として「サスペンス、笑い、暴力、希望、愛情、裸、セックス、ハッピーエンド」を挙げる。ジューンが「リアリティは必要ないの?」と問うと、ミルは「君は本当にアイスランド出身?」と問い返す。
1年後。かつてのオークリーによる脚本はジュリア・ロバーツとブルース・ウィリス主演で撮影・編集が行われ、当初の構想から結末を変更したために、これまでのヒット映画によく似たありきたりの仕上がりとなる。試写を観て、リアリティのない結末に納得のいかないボニーが上層部に食い下がったため、リーヴィはクビを言い渡す。ミルもその決定を覆そうとはせず、ボニーを冷淡に見放す。
そして、ラストシーンはミルとジューンは結婚をしていて、ジューンのお腹の中には2人の子供がいるという、典型的なハリウッド映画のハッピーエンディングで終わる。
主役で殺人事件を犯すハリウッド映画会社重役のミルは、「映画に必要なのはサスペンス、笑い、暴力、希望、愛情、裸、セックス、ハッピーエンドであり、リアリティはその次」と言う。これがハリウッド映画の限界をよく表現している。
ミルを演じているティム・バートンが実にいい。ラストでミルの妻になるジューンを演じているグレタ・スカッキもとても美しい。ハリウッド映画会社の重役であるミルの言う、「映画に必要不可欠な条件としてサスペンス、笑い、暴力、希望、愛情、裸、セックス、ハッピーエンド」というのが、ハリウッド映画会社の限界をよく表しているだろう。
実際、今のアメリカではトランプのようなポピュリズム政治家の台頭、黒人などへのマイノリティへの差別、移民排斥、ウクライナ、ガザでの戦争、その他の国際紛争など、アメリカ政府と社会が直面している難しい現実はたくさんあるが、これらの問題はハリウッド映画のヒットする要素から外れているからなかなか映画化はされないのだ。もし、アメリカで映画化されるとしたら、ハリウッド以外の小規模な映画スタジオが制作することになるだろう。
この映画には20人ほどの大物俳優が安いギャラで出演している。これは、監督のロバート・アルトマン同様に、俳優たちもハリウッド映画会社の娯楽映画がメインという方針に大いに異議を感じていることの表れである。
さらにこの映画で実に興味深い点は、ジュリア・ロバーツ、ブルース・ウィリス、ピーター・フォーク、スーザン・サランドン、バート・レイノルズ、ロッド・スタイガー、ニック・ノルティといった有名な俳優たちがたくさん出演しているが、彼らの1人当たりのギャラは100ドルくらいだったという。理由はこの映画を作ったベテランのロバート・アルトマン監督が、「ハリウッド映画制作を皮肉った低予算映画を作るんだが、安いギャラで出てくれないか?」と有名な俳優たちに頼むと、俳優たちは喜んで応じたからだという。俳優たちもハリウッド映画の限界に、強いジレンマを感じていたのである。(苦笑)
また、この映画は800万ドルという比較的低予算で制作されたけれど、その3倍の興行成績をあげていて、国際的に映画評論家たちからの評価も高かった。とにかく、僕もこの映画を見て「ハリウッドではこうやって映画が作られる」というハリウッド映画の舞台裏がよくわかったし、ハリウッド映画ファンなら一度は見るべき映画だと思う。でも、同時にこの映画を見るとハリウッド映画の限界というのがわかってしまう。(苦笑)